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イカットやソンケットについて 

ここ最近、ひどい暑さが続いている。パリ・マラソンが開催される明日の最高気温は27度になるらしい。これでも樺太のサハリンと経度がほとんど同じだというパリ。ましてや今はまだ桜の残る春先である。西洋人は喜び勇んで一斉に週末のカフェでテラスを陣取っているが、あまりにもジリジリと暑い太陽に私はカフェでぐったりしてしまった。

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座っているだけで汗がにじむなんて年末のインド以来である。実はこの時、マレーシア経由でインドに行ったのだが、丸一日を首都のクアラルンプールで過ごす時間があった。日記が前後するが、その時の事を書きとめておこう。

半世紀前までイギリスの統治下におかれていたイスラムの国であるマレーシアの首都は、植民地時代の西洋式建築、モスク、近代的高層ビルなどが混在した街である。東南アジア特有の屋台も出ており、つまみ食いをしながら歩いていると布屋さんが立ち並ぶ道に迷い込んだ。中国シルクとインド糸の輸入が盛んであった頃に生まれたという、ソンケットと呼ばれるマレーシア独自の織物が、所狭しとならんでいる。もともとは王室専用だったというだけあり、金と銀の糸をふんだんに使ったしっかりとした生地は袋帯に出来そうな豪華さである。

もう少し進むと、イカット絣を専門においてあるお店に出くわした。本場のインドネシアでも手紡ぎ綿糸を草木染で仕上げるという伝統的な技術は衰退しているらしい。ましてやこんな所で売っているイカットなどは、あまりいい質のものではないのだろうな、と思いつつも手持ちの紬に合いそうな色合いのものを2つ買い求めた。現在お仕立てに出している写真の紬と名古屋帯になるイカット絣は、今年の袷の季節が始まり次第、袖を通したい組み合わせである。

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まだ袷の季節が終わっていない4月半ばに「今年の袷の季節が始まり次第」という表現は正しくないのかもしれない。でも今はいくらお気に入りの塩漬け色無地一つ紋でも、卵色の付下げでも、袷はまるで着る気になれない異常気象のパリである。

パリ・オペラ座松竹大歌舞伎 

ヨーロッパでは日本で桜の開花がニュースになることがニュースとして取り上げられている今日この頃である。今年も日本の桜は見られなかったが、その代わりに日本でも珍しいという豪華な配役の歌舞伎公演を見る機会に恵まれた。パリ・オペラ座での松竹大歌舞伎である。いつものまばゆいオペラ座に入ると、柿、黒、萌葱の定式幕(じょうしきまく)がかけられており、共に四百年の歴史を誇る歌舞伎とオペラの劇空間がなかなかすんなりと共存していた。

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市川家に伝わる歌舞伎十八番「勧進帳」では市川團十郎と海老蔵父子が交代で弁慶と富樫を演じ、ロンドン公演にも出演していた亀治郎が義経、という配役である。「口上」では一座の幹部俳優9人全員がかみしも(裃)姿の正装で初お目見えのご挨拶をフランス語でこなし、市川家伝統の「にらみ」を団十郎が披露した。

もちろん花道などないガルニエの舞台は歌舞伎座のそれより横幅が狭いだけでなく、天井が高く、色々工夫が必要であったらしい。普段はオーケストラが入る部分に所作台をかぶせ、観客席の真ん中の通路が花道の代わりである。

フランスのメディアでは今回の公演の劇評よりも歌舞伎の世襲制度をもの珍しく紹介している記事が多いようだ。いくら評論が好きなフランス人でも、演技を評価出来るほどの歌舞伎通のジャーナリストはまだ少数なのかもしれない。歌舞伎を目新しいものとして取り上げるだけではなく、ひとつの芸術として品評できる目をこの国で養うには後どれくらいの歳月がかかるのだろう。

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最後の狂言は「紅葉狩(もみじがり)」。戸隠山に住む「紅葉」という鬼女が紅葉の下で宴を催す美女に化けて、、というあらすじの舞踏の大変美しい華のある演目である。ただ花盛りのこの時期にどうして「紅葉狩」なのだろう、という疑問が日本人として残った。でも桜の開花がニュースになることがニュースになるこの国では私の疑問自体が疑問となることだろう。

花冷のパリにさくら咲く 

春分を目前にパリでは週末に霰(あられ)が降り、今朝は牡丹雪が散らついた。寒の戻りにも負けず、職場の庭園で頑張って開花しているのは日本からの寄贈品の染井吉野と八重紅枝垂(やえべにしだれ)である。堂々とした幹に白に限りなく近い淡紅色の花をつける染井吉野にも惹かれるが、あふれ出る花を重たそうに持ち、たおやかな曲線を作る枝垂桜(しだれざくら)が私はとても好きである。

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「枝は伸びると重力によって下に垂れそうになるが、ふつうの植物にはそれに打ち勝つだけの力があり上(太陽)に向かって伸び続ける。しかし枝垂桜にはその力がなく、人間が支え木などをして育てていかないと大きくならない」と、ある花のサイトにあった。頼れるものには頼る、というこの枝垂桜の末っ子根性がなかなか私の共感を誘う。

そんなことを考えていた矢先に枝垂桜意匠の塩瀬帯をネットで見つけた。新潟県五泉市産の生地は薄いクリーム色に染められている。優しい色とあどけない雰囲気の枝垂桜がとても気に入ったが、絶対に必要なものではない上に締めれる時期に限りがありすぎてオーダーをためらっていた。

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散々悩んだあげく、来月にせまった私の誕生日に両親からプレゼントしてもらうという案に無理矢理たどり着いた。来春こそは桜の帯を締め、日本の季節をまとえると思うと今から楽しみである。今だにこうやって親を頼るところが支え木を必要とする枝垂桜っぽい、などと自評してみたところで誰も感心してくれないであろうし、枝垂桜も迷惑かもしれない。

photos: kimonoichiba.com

女心と秋の空 

私のあまり女性らしくない部分として、可愛いらしい小物やアクセサリーをほとんど身に着けない、というのがある。話し方のせいか「ぶりっ子っ」などと言われたこともあったが、自分自身は少女の頃からあまりにも甘すぎる趣味のものは敬遠していた記憶がある。

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着物に興味を持ち始めたのはここ数年だが、特に着物では渋めに惹かれる傾向が強かった。今まで何回「もうちょっと可愛らしい色のんにしときよし」と言われただろう。それにもかかわらず好みは決まっているつもりでいたが、最近自分の心変わりに気づきつつある。

上は年末年始に京都で選んだ和装小物達である。右からぴぐさんの赤蝶々帯揚げに魅了され、真似して購入したゑり萬さんの飛び絞り、一目惚れしたきねやさんのバラ匹田絞り、先日の白結城と合わせた紬の帯揚げ、そして伊勢丹さんのセールで見つけたものである。 こうして並べると明らかに最近は可愛らしい色ばかりに目がいっているのがわかる。一年前に購入した下の帯揚げ達と比べると好みの変化が一目瞭然である。

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男性の趣味で例えると竹中直人からブラッド・ピットに好みのタイプが変わった感じか。
我ながら心変わりもはなはだしい次第である。

白結城で、志村ふくみ展 

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志村ふくみ「楽浪(さざなみ)」滋賀県立近代美術館所蔵 美術館HPより

先般の帰洛の際、ake様のお陰で滋賀県立近代美術館での志村ふくみ展に足を運ぶことが出来た。滋賀県近江八幡生まれの志村氏は地元にあるこの美術館へ多くの作品を寄贈されたという。素朴な優しい色や、これが草木染かと目を疑うほど鮮明な色など、志村氏が自然から「いただく」という色彩には見惚れるばかりである。

写真がなくて残念だが、とても印象に残った作品は志村氏が「思わず深入りした」と言う「源氏物語シリーズ」の「夕顔」と題された紬である。藤色の色無地と思いきや、袖と上前に市松模様が織り込まれている。たしか「源氏物語」の構想は紫式部が滋賀県にある石山寺で練ったものである。来年はこの小説が記されてちょうど1000年が経つという。

「夕顔」の余韻が残っていたのか、翌日書店で「源氏物語・現代京ことば訳」を手に取った。「ほんまに、どこに、こうまで心惹かれるのやろと、何べんも何べんも思いやす。」(夕顔の巻)という具合である。一方、「たまゆらの道」は志村氏がお嬢さんと染織源流の地を尋ねた紀行で、前から読みたかった随筆集である。玉響(たまゆら)とは、「玉が触れ合ってかすかに音をたてる」ことで「一瞬」や「かすか」という意味を持つらしい。

この日の着物は父方の伯母から譲り受けた結城で、50年程も反物のまま桐箱の中で眠っていたものである。友人が見繕ってくれた卵色の八掛けに合わせた紬の帯揚げと先日いただいたばかりの刺繍名古屋帯を締めてみた。今回はとんぼ帰りだった京都。普段のパリの生活に戻った今、帰洛の思い出は「たまゆらの夢」のようである。


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(左)「たまゆらの道・正倉院からペルシャへ」 志村ふくみ、志村洋子 世界文化社
(右)「源氏物語・現代京ことば訳」 中井和子 大修館書店
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