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紅染の衣に似たれば
古典の成績は今一パッとしなかった私だが、やはり女子高生として平安時代の女流歌人には人並みの興味を持っていたように思う。興味を持っていたといっても紫式部が清少納言について書いた悪口だとか、女性の見栄や嫉妬など今も昔も変わらぬ人間臭い部分に魅力を感じていたという程度である。そんな文学度が極めて低かった女子高生を少し振り向かせてくれたのは清少納言より年下、紫式部より少し年上で、藤原道長から「浮かれ女」と評されたという才媛、和泉式部である。

黒髪のみだれもしらずうち伏せばまづかきやりし人ぞ恋しき
(黒髪が乱れる事も気にせずに床にうち伏せていると、この髪をかき撫でてくれたあの人が恋しくなります)
この作品のように艶っぽい秀歌が多く、恋がわかったような気になっていた17歳の私は敏感に反応したようである。人の妻の身でありながら冷泉天皇の第3皇子為尊(ためたか)親王と恋に落ち、偽尊親王没後、その同腹の弟、敦道(あつみち)親王から寵愛をうけ、宮廷に迎え入れられた和泉式部。教養高い貴公子に次のような歌を作らせた女性である。
われが名は花盗人(はなぬすびと)と立たば立てただ一枝は折りて帰らむ
(たとえ花盗人(他人の妻を奪う人)と呼ばれても、この花一枝(和泉式部)は私が折っていこう)
敦道親王との恋歌の応酬を綴ったのが「和泉式部日記」だが、これを題材にしたSalvatore Sciarrinoによる創作作品、「Da gelo a gelo(ダ・ジェロ・ア・ジェロ=寒から寒へ)」がオペラ・ガルニエで公開された。イタリア人作曲家のSciarrinoは十代の頃から俳句に親しんでいたというジャポンフィル(Japonphile 親日家)であるらしい。


よの中に恋てふ色はなけれどもふかく身にしむ物にぞありける
(世の中に恋という色はないけれども、こんなにも深く身に染みるものなのですね)
この時、敦道親王は23歳、和泉式部は30歳少し手前であり、敦道親王が27歳という若さで他界するまで2人の関係は続いたとのこと。この当時は今に比べると短命な時代だが、時間の流れ方がゆるやかで、若くして人生を深く見つめ、思いをはせる機会も多く、物を感じ取る力も研ぎ澄まされていたのだろう。そんな時のあり方を丁寧に伝えた創作オペラである。
このオペラの際に袖を通した単衣紬に合わせた帯は着物の大先輩にいただいた紙子の帯である。絹のように虫を殺さず、女手をわずらわせずに修行僧が作った紙衣は仏の戒律にかなった衣料として1000年以上も前から使われていた、とある本に書いてあった。もともと紙は朝廷や仏僧のみの貴重品であったが、江戸時代からは大量に市場に出回り、麻などに比べて風を通さない防寒着として庶民に愛用されるようになったらしい。
和泉式部の和歌の中で私がとても愛らしいと思うのが次の恋歌である。
岩つつじ 折りもてぞ見る 背子(せこ)が着し 紅染(くれなゐぞめ)の衣に似たれば
「あの人が着ている紅染の衣の色に似ているので、つい、岩つつじを折ってきてしまいました」と謡っているのである。若い男性が着ていた意匠の色ならこの紙子の帯くらいの紅色だったのかもしれない。女子高生でなくなって久しくたった今、さらに感情移入できる歌である。

黒髪のみだれもしらずうち伏せばまづかきやりし人ぞ恋しき
(黒髪が乱れる事も気にせずに床にうち伏せていると、この髪をかき撫でてくれたあの人が恋しくなります)
この作品のように艶っぽい秀歌が多く、恋がわかったような気になっていた17歳の私は敏感に反応したようである。人の妻の身でありながら冷泉天皇の第3皇子為尊(ためたか)親王と恋に落ち、偽尊親王没後、その同腹の弟、敦道(あつみち)親王から寵愛をうけ、宮廷に迎え入れられた和泉式部。教養高い貴公子に次のような歌を作らせた女性である。
われが名は花盗人(はなぬすびと)と立たば立てただ一枝は折りて帰らむ
(たとえ花盗人(他人の妻を奪う人)と呼ばれても、この花一枝(和泉式部)は私が折っていこう)
敦道親王との恋歌の応酬を綴ったのが「和泉式部日記」だが、これを題材にしたSalvatore Sciarrinoによる創作作品、「Da gelo a gelo(ダ・ジェロ・ア・ジェロ=寒から寒へ)」がオペラ・ガルニエで公開された。イタリア人作曲家のSciarrinoは十代の頃から俳句に親しんでいたというジャポンフィル(Japonphile 親日家)であるらしい。


よの中に恋てふ色はなけれどもふかく身にしむ物にぞありける
(世の中に恋という色はないけれども、こんなにも深く身に染みるものなのですね)
この時、敦道親王は23歳、和泉式部は30歳少し手前であり、敦道親王が27歳という若さで他界するまで2人の関係は続いたとのこと。この当時は今に比べると短命な時代だが、時間の流れ方がゆるやかで、若くして人生を深く見つめ、思いをはせる機会も多く、物を感じ取る力も研ぎ澄まされていたのだろう。そんな時のあり方を丁寧に伝えた創作オペラである。
このオペラの際に袖を通した単衣紬に合わせた帯は着物の大先輩にいただいた紙子の帯である。絹のように虫を殺さず、女手をわずらわせずに修行僧が作った紙衣は仏の戒律にかなった衣料として1000年以上も前から使われていた、とある本に書いてあった。もともと紙は朝廷や仏僧のみの貴重品であったが、江戸時代からは大量に市場に出回り、麻などに比べて風を通さない防寒着として庶民に愛用されるようになったらしい。
和泉式部の和歌の中で私がとても愛らしいと思うのが次の恋歌である。
岩つつじ 折りもてぞ見る 背子(せこ)が着し 紅染(くれなゐぞめ)の衣に似たれば
「あの人が着ている紅染の衣の色に似ているので、つい、岩つつじを折ってきてしまいました」と謡っているのである。若い男性が着ていた意匠の色ならこの紙子の帯くらいの紅色だったのかもしれない。女子高生でなくなって久しくたった今、さらに感情移入できる歌である。
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- [2007/07/31 03:48]
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