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BONJOUR BOMBAY 

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小さい時の宝物に1937から67年にかけて制作されたディズニー映画のレコード版コレクションがあった。白雪姫やバンビの絵本を見ながら何回もレードを聴き、まるで映画を観ている様に童話の世界に浸っていたのを覚えている。その中にウォルト・ディズニー氏自信が生前最後に手がけた「ジャングル・ブック」が入っていた。

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「ジャングル・ブック」の原作はイギリス人作家、キップリング(Joseph Rudyard Kipling、1865-1936)によるものである。キップリングはイギリス帝国時代のインドのムンバイ(ボンベイ)で生まれ、イギリスで教育を受けた後、16歳で新聞記者としてインドに戻っている。41歳でイギリス人として初めてノーベル文学賞を受賞しているが、これは現在でも文学賞の最年少受賞記録であるという。

インドの密林を舞台にしたこの童話が人間性と人生の教訓溢れる児童文学の傑作であることには間違いないであろう。しかしキップリングは東洋と西洋の文化には埋められない断絶があるという意味の「East is East, West is West(東は東、西は西)」という言葉を遺し、さらに「The White Man's Burden(白人の責務)」と題された自身の詩集に見られる「憂うべき東洋人を優れた西洋人が文明化する使命」といった植民地主義に基づく思想の持ち主であったことも残念ながら否定できないようだ。

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私はインドが大好きである。先月、5年ぶりに訪れた南インドでは埃とお香の交じったような独特の匂いにワクワクし、色華やかな景色から目が離せなかった。インドの地図をヨーロッパのそれに重ねるとノルウェーからシチリア島、スペインからロシアまでを覆いつくす。300以上の言語を話し、毎年オーストラリアと同じ人口を増やすというこの国の多様性と活気を通り越したカオスに魅力を感じてしょうがないのである。

どうしてこんなにインドに惹かれるのだろうと考えたとき、ふと、私にとってのインドはディズニーランドなのではないかと思いついた。色とりどりのサリーを着た女性、あどけなく後をついて来る子供達、飾られた姿で道を闊歩する象やラクダ。私にとってこれらに見惚れるのは子供の頃、エレクトロニックパレードを目を輝かせて見ていたのと似ているのではないか。そして心温まる童話の陰にあるキップリングの帝国主義思想が見えなかったように、今も残るインドの身分制度や植民地時代の傷は見ていないのではないだろうか。

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今回のインド旅行で購入したサリーを帯にするべく、京都でお仕立てに出した。シタールやインド古典舞踏の公演に締めていける日が待ち遠しいが、私はインドの華麗なサリーの陰に存在するものに対しては、少し目を逸らしているのかもしれない。カースト制度も植民地文化も日本が他人事だと言い切れるものではない。私の中のインドをディズニーランドで終わらせてはいけないのだろう。
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南座で「塩漬け」色無地一つ紋 

親友との恒例行事となりつつある南座顔見世に2006年もめでたく一緒に足を運ぶことが出来た。彼女には普段から着物について教わってばかりだが、この日二人共が着た「塩漬け繭」の着物を紹介してくれたのも他でもない彼女である。



日本史の教科書に載っていた製糸工場で働く女工さんの写真をとても鮮明に覚えている。生糸は明治時代の主要な輸出品であったと習った。中学生の時は厳しい労働生活を強いられた貧しい女工さんの話に胸を痛めたが、養蚕・製糸業が産業化されたことによって日本の高質な織物技術が失われていったことは知らなかった。

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(上)「象牙色に、」とお願いした色無地に同色でグラデーションをつけた刺繍一つ紋。

均質な絹の大量生産が求められるようになるにつれ、絹の本性を損なわない、素材の多様性を生かしたそれまでの織物作りが消えていったという。その失われた養蚕・製糸の技法を長年研究され、優れた布作りを追求されている志村明という方がいる。長野県にある工房、「勝山織物飯島きぬの里」では志村氏が指揮を取り、工業化以前の技法を用いた養蚕、製糸、織りを一貫して絹織物を生産されており、この着物の糸もここで生まれたものである。

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(上)友人はロイヤルブルーの色無地に染抜き一つ紋。帯は二人とも洛風林。

志村氏の繭の保存法についての研究は特に斬新なものであり、近代の絹織物の常識を覆したという。明治以前は「生操り」と呼ばれる生繭から糸を紡ぐという方法が採られていたが、工業化に伴い繭を長く保存させるため、乾燥させることが一般的になった。実はこの過程が絹糸の質を著しく悪くさせるらしい。志村氏は絹糸本来の美しさを失わない方法として繭の「塩漬け法」を中国の古書から見出され、塩を使って殺蛹(さつよう)することにより、絹糸の光沢やしなやかさをさらに引き出せることを明らかにされた。

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一人で着付けが出来るようになった一昨年の夏、この工房を訪問させていただける機会に恵まれた。この山里深い場所で生活し、織物作りに専念していらっしゃる数人の女性達は同年代で、絹についての豊かな知識と作り手としてのプライドを持ち合わせていらした。近代化の名の元に葬られた芸術品の小さな破片を一つずつ探して組み合わせるような仕事である。本当に良い物を正しく理解しようという着る手の気持ちは、この崇高な努力の小さな手助けになれるのではないだろうか。
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