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バレエ 「椿姫」 Opéra Garnier 

秋である。学校では新学年が始まり、劇場では新しいシーズンの開幕となる。パリ・オペラ座、最初の演目の一つは「La Dame aux camélias(邦題:椿姫)」。「三銃士」などで有名なアレクサンドル・デュマの実息子、アレクサンドル・デュマ・フィス(Alexandre Dumas fils、1824-1895)の小説をもとにしたバレエである。

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19世紀パリの社交界の設定に魅了されながらも私が少し複雑な気持ちになるのは、この小説が作者の実体験に基づいていると聞いたからだろうか。ヴェルディが「La Traviata(椿姫)」と題してオペラ化したこの作品は23歳で亡くなる高級娼婦(コルティザン)と年下のブルジョワ青年の悲恋を描いている。

「彼女は細くて背が高く、黒い髪を持ち、白とバラ色の小さな顔には日本人のような少し細長く艶のある目があった。」椿姫のモデルとなった自分の恋人をデュマ・フィスが描写した文章である。華奢なブルネットのエトワール、Agnès Letestuはうっとりと見惚れてしまう椿姫を演じてくれた。John Neumeierの振り付けとショパンの音楽に踊るJürgen Roseの衣裳もため息をつく美しさである。

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一方、私の衣裳はというと、
「おばちゃん、もうちょっとまけて」
「ほんならもうこれ持っていきよし」
去年の終い弘法にておまけとしていただいた反物で仕立てた単衣である。縁日で売れ残っていたこの子がオペラ座のバルコニー席に座っている。出生がおぼつかない私の着物の中でもなかなかの出世頭なのではないかと思ったりした。
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祝・通天閣 

「人が道端で寝ている」、「一人歩きは危険」、「露店で靴を片方だけ売っているおじさんがいる」。。。大阪の浪速区は「新世界」という場所について聞いていた噂である。その「新世界」のシンボル、通天閣での結婚パーティーに出席することになっていた。通天閣とは「天に通じる楼閣」という意味をもつという。

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実際の「新世界」は拍子抜けするほど小奇麗な下町歓楽街であった。目に新鮮であったのは串カツ屋、芝居小屋や将棋センターなどがひしめくレトロな風景とそれを彩る華やかな色である。荒木経惟氏が大阪を撮った写真集に「原色の街」と題されたものがあったが、確かに吉岡幸雄氏の「日本の色辞典」の中には見つからなさそうな色彩ばかりである。

10代の時にサンフランシスコで知り合い、彼女が帰国して10年以上たった今でも仲良くしている大切な友人の結婚披露宴である。華やかな仕事をしている彼女は披露宴も掟破りで楽しいものであった。次々に二人の友人達のライブがあり、盛り上がった雰囲気のまま終わるかと思ったが彼女がハンカチを取り出したとたん、思わずもらい泣きをしてしまった。

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(上)絽色無地に葡萄模様名古屋帯と祖母の形見の珊瑚帯留。

この日は嬉しくも13年ぶりに会う友人も出席しており、パーティーの後に名物の串カツを食べに連れて行ってもらったのだが、これが想像をはるかに越えて美味しかった。パリでもたまにこの味を思い出してしまうようになったのは大変困ったものである。

帰洛の悦び 

時折「どこでもドア」が普及した世の中を夢に描いたりする。日本が恋しくなったときである。両親の西海岸での大学時代は一週間かけて航海していたと聞いた。その頃に比べると確かに世界は小さくなったのだろうが、私にはまだまだ大きい地球と遠い日本である。

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(上)京都祇園花見小路、創業およそ300年の「一力亭」。

日本の小さな断片ならパリでも経験することができる。コンコルド広場近くのとらやさんでお薄をいただくこともできるし、お洒落で美味しい日本食屋さんも増えている。でもこれからも日本の風土の中でしか生まれないものがあり、日本で見るからさらに美しいと感じるものがあるのだと京都に帰るたびに実感する。

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(左上)祇園にある割烹屋さんのイチジクのお吸い物。器の模様は萩と椋鳥。
(右上)ゑり善さんの展示会でいただいたお薄茶。主菓子は桔梗餅と白露。

もしグローバル化というものが世界の文化の画一化をも意味するのなら、能率的だが味気ない世の中に向かっていることになるだろう。日本ほど四季への高い感受性を持っている国もそれを洗練された文化として表現できる国民も私は他に知らない。

少し不便なのは我慢するとして、「どこでもドア」はこのままずっと開発されないほうがいいのかもしれない。

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(上)二度引き染めをしていただいた色無地一つ紋と洛風林の色段鳥襷袋帯。

季節外れの桜の話 

古典で「花」といえば桜のことを指すように日本で最も馴染み深いこの花に私は日本人の例に漏れず愛着を持っている。悲しいことに「花」が開く季節に日本に帰ることはまれで、10年あまり円山公園の祇園枝垂桜を見ていないように思う。花と葉がほとんど同時に顔を出すパリの桜を見ながら「ヨーロッパの気候は桜に適してない」と毎春うそぶく私は、花だけでなく桜の樹皮も大好きである。

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パリ4区にある老舗の紅茶屋さんMariage frèresで桜皮の茶さじを見て「桜ですね」と言ったところ、お店の方にえらく感心されてしまったことがあったが、日本人なら誰でもあの特徴ある樹皮を見れば花が付いていなくとも、すぐにそれだとわかるのではないだろうか。

先日、京都に帰っていた際に着物好きの方達とお出かけする機会に恵まれた。大阪にある履物屋さんへも連れて行ってくださるという。皆さんがオーダーをされている間、色華やかな鼻緒や網代の台に見入っていると桜皮の下駄台が目に入った。物との出会いも人とのそれに似ている。初めは特に何も感じないのに、後からとても気になってしまう時もあると思えば、見た瞬間ドキドキしている場合もある。この下駄台との出会いは後者の方であった。

zori(13).jpgさくら子

この日は天気にあまり恵まれなかったのだが、結局どうしても着たかった伯母の小千谷縮に鳥獣戯画の生紬帯を合わせた。この夏物は去年、手洗いをした際に絞った布巾のように縮んでしまい、心臓が止まる思いをした着物である。アイロンで何とかもとの形に戻ったものの、ドキドキしながらも小雨の中をこの着物で出かける大雑把な性格は直らないらしい。
実はこの日初対面の芦屋の真美さんもいらしていて少し緊張していたのだが、とても素敵な気さくな方で話にすっかり花が咲き時間が足りないと感じるほどに。
ドキドキの多い楽しい半日であった。
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