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アングルのヴァイオリン(Violon d'Ingres) 

去年の夏、京都市美術館でルーブル美術館展を見たことがあった。後で知ったことだが19世紀フランス絵画の巨匠、ドミニック・アングル(Dominique Ingres 1780 - 1867)最晩年の傑作「トルコ風呂」は、この日本での展示がフランス国外初めての出展であったらしい。

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Dominique Ingres「Le bain turc」1862、「La Grande odalisque」1814

上述の「トルコ風呂」を始め、ルーブルにはアングルの名画が集まっているがそれに加え、主にアメリカとフランスの美術館と個人所蔵の傑作を集めた40年ぶりのアングル回顧展が現在ルーブルで開催されている。87歳まで生きたこの大家の絵画が80点ずらりと並んだ 様子は圧巻である。普段はあまり見られない100あまりのデッサンも見所だが、その他にも1つ嬉しいおまけがあった。

「アングルのヴァイオリン」というフランス語の表現がある。アングルが幼少の頃から習っており、自分の作品を見に来た客に披露するのが好きであったというヴァイオリンから来ている言い回しである。もともとは芸術家における自分の専門でない余技を指していたらしいが今は広い意味で「趣味」の同義語として使われる。今回の回顧展では作品に混じってアングルのヴァイオリンも展示されている。もちろん言い回しではなく実物の方である。

0306_ingres(9).jpg Man Ray「Violon d'Ingres」1924

アングルはドガ、ルノワール、マチスやピカソに代表される後世の画家の作品にその影響の形跡を残しているがこの巨匠への数あるオマージュの中で私が気が利いていると思うのはこの表現をタイトルとしたマン・レイ(Man Ray 1890 - 1976)の作品である。アメリカ出身のマン・レイは1921年にパリに渡り、ここで骨を埋めている。モデルであり恋人であった  キキの後ろ姿をヴァイオリンに見立て、アングルが生涯描き続けたオリエントの女性を意識したこの写真はパリのポンピ・ドゥーセンター(国立近代美術館)で見ることが出来る。

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私のアングルのヴァイオリンは今はやはり着物であろう。この日は伯母の大島に袖を通した。アングルの時代のオリエンタリズムというと中近東への興味を指し、欧州の作家達の東への好奇心が日本まで届くにはさらに半世紀近くを要している。アングルが残したどこまでも緻密な肖像画の中の女性達はしゃりしゃりという音が聞こえてきそうなサテンのドレスに身を包み、重量感のあるしっとりとしたベルベットのリボンで細い腰を締めている。もっと早くジャポニズムがフランスに到来していればアングルの描いた京友禅や錦織りをまとった美人画が見れていたかもしれない。想像するだけで見事である。

Musée du Louvre ルーブル美術館
75058 Paris Cedex 01
Tél:+33.1.40.20.50.50
http://www.louvre.fr/
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ノミの市で、宝探し 

フランスのマルシェと言えばやはり野菜や果物、地方のチーズなどが並ぶ食材市のイメージが強いのだろうか。パリには合計84のマルシェがあるという。その中には古本市、骨董市、鳥市なども含まれる。そして忘れてはいけないのが蚤(ノミ)の市である。

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パリ3大蚤の市の1つが世界一の規模、7ヘクタールの面積と毎週末20万人の来客を誇る通称クリニャンクールである。1885年から存在するとされるこの市の歴史は実際にはもっと古い。数世紀前からパリ市内には街で拾った物を道端で売って生計を立てていた人達が大勢いたらしい。風流にも「pêcheurs de lune(意:月の釣り人)」と呼ばれていたその人達を城壁の外へ追い出す方針をパリ市がとったのが19世紀中頃。城壁外側の門の近くで商売を始めた彼らの集団が蚤の市の原型である。今でもパリ3大蚤の市はパリに寄り添うように以前ゲートがあった場所に位置しており、クリニャンクール、モントルイユ、ヴァンヴという市の名前もそれぞれの門の名称から来ている。

クリニャンクールは市場というよりもガラクタと骨董品が詰まった小さな町のようだ。60年代まではレンブラントのエッチングが出てくる事もあったらしいがもちろん今はそうはいかないだろう。蚤の市から家に帰った瞬間どうしてその品を手に入れのかわからなくなる事も多い私であるが、たまに宝探しの結果に満足できることもある。

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暗闇から浮き出るような朱一色の牡丹が気に入り、購入したこの漆箱は中国から来た帽子入れらしい。帯締め、帯揚げ、半襟、伊達締めなどをそれぞれ風呂敷に包み、この箱に収納している。着物や帯、袖口から覗く襦袢の美しさはもちろんであるが着付けの際、襦袢に乗せる腰紐や伊達締めの色が好きである。少しずつ集めた帯揚げや帯締めの色目が重なっている様子は長い間見ていても飽きない。私には着物の裏方が詰まった宝石箱のようである。蚤の市の宝探しで見つけた宝箱である。

パリ3大蚤の市
*クリニャンクール(正式名はサン・トゥオン St.Ouen)
メトロ4番線:Porte de Clignancourt、13番線:Porte de St.Ouen
*モントルイユ
メトロ9番線:Porte de Montreuil
*ヴァンヴ
メトロ13番線:Porte de Vanves

パリ寄席におけるフランス人の想像力 

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(桂歌丸、パリ日本文化会館)

誰の特にもならない気の使い方をしてしまう癖がある。先日パリ日本文化会館へ落語を聞きに行ったときも案の定そうであった。

落語芸術協会によるパリ寄席興行。縞の着物に絞り染帯を合わせ、日本女子ばかり5人で賑やかに出かけた。会場のほとんどはフランス人である。そこで私の心配が始まる。「日本語を母国語としない人に日本芸能の良さは正確に伝わるのか。」という不安。「彼らは退屈しないで、ちゃんと楽しめるのか。」という思い。今回はたまたま落語であるが歌舞伎のときも能楽の場合も心配の種は同じである。

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もちろん好んで寄席に足を運んでいる人達である。私などよりも日本語が達者で日本文化に理解の深い外国の方も多いのであろう。通訳としていらしていたパリ国立東洋文化言語学院のPascal Griolet教授などはまさにそのようなフランス人の一人である。

それにしてもある程度目だけで楽しめる他の日本伝統芸能と違い、落語はやはり言葉が根幹を成している。道具は扇子と手ぬぐいだけを使い情景を作り上げるため聴衆の想像力が重要な役割を持つ。噺家の芸が上質になると「演者が消える」という。

言葉、すなわち日本語が基礎的要素である落語はやはり難しすぎるのではないか。日本の風習を知っていて初めて身振りと語りだけから情景を想像できるのではないのか。最後の席が始まった時、私の心配はとても深刻なものになった。電子版に打ち出されるはずの仏語字幕がいつになっても出てこないのである。ハラハラする私の事などつゆ知らず、皆さんは礼儀正しく桂歌丸師匠の席を見ていた。

小さなやましさを胸に抱えつつも3席の落語と色物をしっかり満喫したのだが、公演の最後に技術的ミスを詫びながらちゃんと落ちをつけたGriolet氏の締め方がなかなか見事であった。「どうぞお許しくださいまし。皆様の想像力を信頼しておりましたので仏語字幕はわざと消させていただきました。」

*寄席演目
落語「そば清」桂歌助 
落語「紙入れ」三笑亭茶楽 
紙切り 林家今丸 
落語「しり餅」桂歌丸

photos: Maison de la culture du Japon

LES COUPLES PARFAITS (完璧なカップル達) 

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「Le Baiser」Auguste Rodin,1886

Valéria Bruni-Tedeschi(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)はとても好きな女優なのだが   日本での知名度はどのくらいのものなのであろうか。彼女の妹でモデルのCarla Bruni  (カーラ・ブルーニ)の方が有名なのかもしれない。彼女が出演している今回の作品は今までにも増して気になっていた。

『Un Couple Parfait』(意:完璧なカップル)と題されたこのフィルムは役者も、設定も、扱うテーマも極めてフランス的な作品である。15年連れ添った夫婦の別離までの最後の数日。2人が駅で抱き合うポスターの中で唯一フランス的でないのはNobuhiro Suwaという監督の名前だけである。諏訪信弘監督は2002年にMarguerite Duras (マグリット・デュラス)原作 『Hiroshima Mon Amour』(邦題:二十四時間の情事)のリメークを『ベティ-・ブルー』の  女優、Béatrice Dalle(ビアトリス・ダル)で撮った人だ。

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映画の中でブルーニ・テデスキがロダン美術館を訪れるシーンがとても印象的で久しぶりに足を運んでみたくなった。ロダンが1908年から没年までアトリエとしていたパリ7区にある 18世紀築ビロン館は現在美術館として公開されており「接吻」や「考える人」、「地獄門」を含む彼の傑作に出会える。

思出の中にたふとく金色(こんじき)すロダンと在りしアトリエの秋

これは1912年に夫、鉄幹とビロン館までAuguste Rodin(オーギュスト・ロダン 1840-1917)に会いに行った与謝野晶子の詩である。2人はこの時まずパリ郊外、ムドン村にあるロダン邸を訪ね、当時内縁の妻であったローズ・ブレに生憎ロダンはパリのアトリエで制作中だと教えられたらしい。72歳で正式にロダン夫人となり同年に亡くなるまで50年以上彼の芸術活動を影で支えた彼女よりも、ロダンの名前にはCamille Claudel(カミーユ・クローデル 1864-1943)の存在を結びつける人の方が多いのであろう。

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「La Valse」Camille Claudel,1905 「La Danaïde」Auguste Rodin,1890

Isabelle Adjani(イザベル・アジャーニ)がカミーユを演じた映画があったが、このフィルム  以前はフランスでも「クローデル」と言えばカミーユではなく彼女の実弟、Paul Claudel(ポール・クローデル 1868-1955)の事を指す場合が明らかに多かったらしい。著名な詩人及び劇作家であったポールは1921年から27年まで駐日大使を務めた外交官でもある。

カミーユの知名度が上がるにつれ、彼女についての研究も進み、ロダンの作品と思われていたものが実は彼女の手によるものだったと判明したケースも少なくないらしい。2人の彫刻を前にすると作風が似ていると言う以上にお互いの作品に手を加え、影響され、惹かれあった証拠を見せ付けられているようである。ロダンによって花咲き、葬り去られた女性芸術家としての印象の方が作品自体よりも注目されがちなカミーユ。彼女が30年後に生涯を閉じる精神病院へ収容されたのは与謝野夫婦がバロン館を訪ねた翌年の春のことである。
日本にも彫刻家に愛され、自分自身も芸術家としての才能に溢れながら、気がふれたとされている女性がいる。

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0306_couples(3).gif切絵:高村智恵子

僕はあなたをおもふたびに
一ばんぢかに永遠を感じる
僕があり あなたがある
自分はこれに尽きてゐる


僕等「智恵子抄」高村光太郎著

愛の詩集という言葉がここまで素直に溶け込む作品も少ないのではないか。与謝野夫婦の愛弟子ともいっていいであろう高村光太郎は夫婦より一足先の1908年にパリに滞在している。ロダンに感銘を受けていたらしが本人には会わなかったようだ。彼は後に「ロダンの言葉抄」を翻訳している。

高村光太郎と智恵子、与謝野鉄幹と晶子、ロダンとローズ・ブレ夫人、ロダンとカミーユ。  純愛、略奪愛、夫婦愛、狂愛。。他人が選んだ範疇に縛られながら語り続けられるあまりにも有名なカップル達。私の中ではそれぞれに完璧なカップル達である。

ロダン美術 Le Musée Rodin
Hôtel Biron
77, rue de Varenne 75007 Paris
Tél : +33.1.44 18 61 10
www.musee-rodin.fr

photos: www.allocine.fr, www.musee-rodin.fr

2月1日付「祖母の形見の話」にお寄せくださったakeさんのコメントもご参照ください。
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