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サリーでお太鼓結び 

アジア諸国に1年近く滞在していたことがある。インドに4ヶ月、ネパールとミャンマーに1ヶ月づついた後、ラオス、タイ、マレーシア、カンボジア、ベトナムと回った。

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各国で見とれてしまう光景に何回も出会った。普段着なのであろう布をまとった普通の人のいる風景に目を奪われる。着古したサリー姿の女性達ほど画趣をさそう被写体はないのではないかと思った。日本の着物もかつてはこのように日常の中の美しさであったのだろう。

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戸棚を整理していたら忘れていた数枚の布が出てきた。使うあてもなかったはずなのに綺麗だからという理由で旅行中に購入したサリーやプンジャビ・ドレス用の織物たち。案の定、戸棚の奥で文字通り日の目を見ることなく長い間眠っていた。

この布を帯にしようと思案中だ。パリに仕立て屋さんは知らないので少し不安だが自分でやってみようと思う。まだハサミを入れる前から「これはあの着物に合う。。」頭の中で帯び合わせを始めている。

photos: www.cbmphoto.co.uk
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オペラ「蝶々夫人 Madama Butterfly」 新オペラ座 Opéra Bastille 

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数年前、トスカーニャ地方のルッカを訪れたことがあった。オペラ作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)の出生地である。旅行から帰ってみるとオペラ「蝶々夫人」のチケットが郵便受けに入っている。素敵な偶然に喜ぶのもつかの間、オペラ座の手違いだと判明した。

「先週偶然にもプッチーニの生家を訪れておりました。彼の名作、楽しんでいらしてください。」旅行帰りだったのも手伝ってか、今思うと親近感を込め過ぎの感もある手紙を同封しチケットを本当の持主に送ったのだが何の返事もなく、わずかに失望じみた想いを持ったのを覚えている。

この時の「蝶々夫人」は見逃したのだが、今シーズンは機会に恵まれた。裏葉色の訪問着は所々に刺繍を使い花模様をあしらった扇の古典柄。揚羽蝶(あげはちょう)の染抜き一つ紋がついている。少し光沢のある袋帯は薄緑と曙色のぼかし模様。

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初演は1904年のミラノ・スカラ座。上のポスターはその当時のものらしいが今回はまったくのモダンな演出であった。明治初期の長崎を舞台にしているが衣装は白か黒かのどちらかで、女性は振袖のように袖だけが長いドレスである。誇り高く、一途な日本のヒロイン、蝶々さんには着物を着ていて欲しかったと思うのは私の大和心のわがままだろう。

「さくらさくら」や「お江戸日本橋」、「君が代」などが日本の旋律として効果的に使われているが、やはり第2幕目の冒頭に3年間音沙汰の無い夫、ピンカートンを信じていると熱唱する蝶々さんには着物を着ていなくても涙を誘われる。 この曲に触れて心を動かされない人など、はたしているのだろうか。

(右上は新オペラ座の窓に映るバスチーユ広場の「7月の柱」。政治犯が収容されていたバスチーユ牢獄を民衆が襲撃した1789年7月14日、フランス革命記念日にちなんだ名称。)

アンティーク・オペラバッグ 

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6年程前だったか母とベルギーに行った折、首都ブルッセルの日曜のみ市に遭遇した。そこで目に止まったのがこの黒いサテンのオペラバッグ。ピンクの小花の刺繍が控えめに散らしてあり、口の部分に真珠が並んでいて愛らしい。手にとって中を覗いてみた瞬間、どうしても欲しくなってしまった。

バッグの中には鏡、くし、口紅、香水、おしろいがすでに組み込まれており、その他には何を入れるスペースもない。入ってもハンカチ一枚くらいのものであろう。

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お店の人いわく、19世紀のフランス製らしいが女性の外出時の所持品が自分を美しく見せる品だけでよかった時代であったらしい。

口紅と香水瓶は空だったが、白粉がほんの少し残っていた。きものを着たときにたまに持つのだが、鏡を見る時にだけ開け、もう1つバッグを携帯することになってしまう。連れ合いに自分の物を持たせるのも気が引ける。いつかこのオペラバッグだけを片手に気兼ねなく出かけられる日が来るのだろうか。

パリ裏千家初釜 

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フランス人には理解できにくいらしい毎日のお風呂の習慣を私は人生の半分以上日本から離れた今も続けている。時間をかけてゆっくり入るのが好きなので着物の本をお風呂場に持ち込むのだが濡れてもよし、とした1,2冊を繰り返し読むことになる。だからこの文章はもう頭に入っていた。「初釜など格式の高いお茶席には色留袖や訪問着、付け下げなどを着ます。控えめな中にも格のある縁起のよい色柄のものを。」

なのに初めてのパリでの初釜に私は地味な紬を着ていくはめになった。平日の昼間に初釜があったからだ。オフィスに始めて着物で行くことになる。「格のある色柄の付け下げ」は、やはり着て行きにくい。出来るだけ目立たないものを、と迷った末、白茶の紬と淡い桜色の塩瀬手描き名古屋帯を選んだ。帯は「縁起のよい柄」の中にはおそらく入らないであろう「山」の柄だがしかたがない。

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懐石(祝善というと習った)の後、パリ日本文化会館のエッフェル塔が見えるお茶室で日本からいらした先生にお薄をいただいた。パリの先生は素敵な象牙色の訪問着と鶴菱の帯。鮫小紋に可愛らしい梅の帯をしていらっしゃるお弟子さんもいた。

白い目でみられるかと心配していた私の紬だが、結局生徒の中で着物を着ていたのは私と独学で着付けを学んだと言う袴姿のフランス人男性だけであったことを付け足しておこう。

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母のきものは宇野千代流 

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私の母はあまり着物に興味がないらしい。私の記憶している限りでは着物姿の彼女を一度も見たことがない。

そんな母も着物に袖を通す機会は皆無ではなかったらしくその証拠にこのような写真が私のパリの部屋を飾っている。これは母がバークレー大学在学中の文化祭に似たイベントの際に、日本の歌をお披露目したときの体育館でのワンシーンであるらしい。

1960年代に書かれた宇野千代さんの「宇野千代きもの手帖」に次のような文がある。

帯は細く洋服のサッシュかベルトの感覚で細く、というのが最近の傾向ですけどそれを意識的にすべて細帯にして、振袖のような場合にも、後ろはお太鼓ではなく、だらり風にして(中略)ウエストのところにキュッと帯を細く締め、腰の線にすらりと自然にそのままにしてみますと、なんと胴の細く、長く美しいことでしょう。

これを読んだときこの写真の母の姿通りであることに気がついた。

去年この小振袖を洗い張り,寸法直しをしてもらい、どうしても取れないシミは金箔をかけて隠してもらった。10代の母とアメリカに渡り京都で40年程眠った後、三十路に手の届いた私とパリにやってきたのである。

一つのものを受け継ぐということは譲る方にとっても、譲られる方にとっても喜びがあるものと思う。その品に歴史があり、さらにその歴史が身内のものであることが、その喜びをより大きいものにするようだ。

展示会「VIENNE 1900」 グラン・パレ Galeries nationales du Grand Palais 

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VIENNE(ヴィエンヌ)とはフランス語でウィーンのこと。展示会の正式タイトルは「ウィーン1900年 クリムト、シーレ、モザー、ココシュカ展」。19世紀から20世紀にかけてオーストリアの首都で活動した4人の画家に焦点を当てたこの展示会がグラン・パレで昨年10月から開催されていたがずっと行き損ねていた。

総ガラス張りのドーム型天井があり、随所に見事な装飾が見られるグラン・パレ(大宮殿)はシャンゼリゼ通りの近く、セーヌ川右岸に位置する。1900年パリ万博に際しプティ・パレ(Petit Palais、小宮殿)と共に建てられ、かつては自動車/家庭用品見本市会場となっていたらしい。現在は約5000㎡におよぶ臨時展示場となっている。グラン・パレで開催される展示会にはいつもおびただしい人が訪れ、予約をせずに行くと数時間の列を覚悟しなければならないことがある。

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いわゆる「ウィーン分離派」の作家の中で、日本でも人気があるのがグスタフ・クリムト、それに継いでエゴン・シーレだろうか。クリムトの金銀を多用したきらびやかな装飾性やルネサンス以来の西洋絵画の遠近法とは異なる平面性についてよく日本美術の影響、ジャポニズムが触れられるがエジプト、ギリシャ、ビザンティンの文様の影響も多くあったようだ。クリムトは若い芸術家の信頼も厚く30歳近く年下のシーレやココシュカにも経済的な支援をしていたらしい。

現在では高く評価されており、私自身も好きな画家シーレの作品は当時は受け入れがたい物だったようだ。自画像を含むシーレの人物像の多くは激しくデフォルメされ、絵画のわいせつ性を問われたシーレは一ヶ月ほども拘留されている。シーレは1918年にスペイン風邪の犠牲となった妊娠中の妻の没後3日目に同じ疫病に冒され28歳の若さで没している。

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水色の色無地に油絵のように織り出された花模様の名古屋帯を合わせた。帯揚げと襦袢を桜色にしてみたが、もう少し春先になってからの方がしっくりくる組み合わせかもしれない。

グラン・パレ Galeries nationales du Grand Palais
3, avenue du Général-Eisenhower
75008 Paris
TEL:+33.1.44.13.17.17
Fax : +33.1 45 63 54 33
http://www.rmn.fr/galeriesnationalesdugrandpalais/index.html

バレエ「白鳥の湖」新オペラ座 Opéra Bastille 

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3時間の間、プリマドンナを夢見る少女のようになっていた。ダブルをちりばめたオデットの32回フェッテ(fouetté:こまの回転のような連続急旋回)の間は涙で目が潤んでしまった。

ドルフ・ヌレエフ氏による演出、パリ・オペラ座バレエ団「白鳥の湖」の最終日を見に行った夜の事である。

一緒に行ったイタリア出身の友人によると、ミラノのスカラ座では大半の座席は劇場に由縁の深い親族達が所有していて一般の人に入手可能なチケットは数限られているらしい。パリの国立オペラ座ではこのようなレベルの舞台が立ち見でもかまわなければ誰でも5ユーロ(約700円)から見られる。国中にオペラ座や劇場が散らばっているイタリアと首都に文化が集中しているフランスの違いだろうか。

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サーモンピンクの付け下げを着て行った。平日なのでオフィスに着物を持ち込み、仕事の後に急いで着付け。うっかり衿芯を忘れてしまったのでコピー用紙を折りたたんで代用する。刺繍と絞りを控えめに使った気に入っている一枚だ。

このパリ・オペラ座バレエ団の「白鳥の湖」が2006年4月に東京公演するということ。
http://www.nbs.or.jp/stages/0604_paris/

バスチーユ・新オペラ座 Opéra Bastille
2-6, place de la Bastille
75012 Paris
Tel:+33.1.72.29.35.35
http://www.operadeparis.fr/

有吉佐和子著 『乱舞』  

着物の描写が魅力的な作品にとても弱い。有吉佐和子さんの著書で惹かれる文章に出会うことが多い。

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(前略)眼の利く男たちに招待された宵は、衣装選びに神経がいる。あれかこれかと合わせてみて、ようやく色紙を折り散らした絽綴(ろつづれ)を選びあげると、秋子はほっとして帯を締めた。着物の紋紗は竹の模様なので、帯とで七夕(たなばた)が揃うのである。

上は舞踊界を舞台に描く『連舞』の続篇『乱舞』で家元夫人の秋子が芸術界の保護者的人物の別荘へ出かける前のシーンである。着物の竹と帯の色紙で七夕!着物上級者にはおそらく当たり前なのであろうこの柄合わせもルーキーの私にはほとんど衝撃的であった。

先日たまたまアクセスしていたE-BAYで浅黄色の紗を発見し購入。笹模様だ。上の文章を強く意識した買い物である。7月までに色紙模様の夏帯を探さなければ。

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有吉佐和子著「乱舞」 
集英社

E-BAY
オークションサイト。首を傾けたくなるような物を売っている店も多いが蚤の市を見る気分で楽しい。着物を扱っている店もある。海外発送をしてくれる日本のオンライン着物屋さんは少ないのでたまについつい見てしまう。
http://www.ebay.com/

『宇野千代きもの手帖―お洒落しゃれても』 

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宇野千代さんと言えば『色ざんげ』や『おはん』が代表作だが、彼女は小説を書くかたわら『宇野千代きもの研究所』を設立し、雑誌『きもの読本』を刊行、さらに銀座に『きものの店』を出店し精力的に着物のデザインを手掛けた方である。そんな彼女の『宇野千代きもの手帖』に次のような文がある。

パリへ出かけたとき、私は和服で行きました。飛行機でも和服、向こうへ着いてからもほとんど和服で通しました。(中略)たまには洋服で歩きたいと思ったのですが、さて洋服を着て、おもてへでてみると、日本にいる間には思ってみなかったことですが、この私という若いとはいえない東洋の女の洋服姿のなんという形の悪いこと。街のショーウィンドゥに映る自分の姿にヘキエキして大急ぎでホテルへ帰り、また和服に着替えたものでした。日本の女は和服の方が百倍も美しい。それは私のような若くない女だけのことではなく、どんなに若々しい溌剌(はつらつ)としたお嬢さんでも和服の方がダンゼン美しいと思うのです。

西洋人が東洋人よりも美しいという事実はないが一般的に美の基準が西洋的ものさしで図られがちな様に見受けられる。日本人は日本人として美しくあるべきで西洋的な美を求めても自然な美ではなくなってしまうのではないか。肌や髪や目の色を極端にまで変え、自分自身とは違うものになっているつもりでいる人を見るのは少し悲しい。

宇野千代さんは「東洋の女の洋服姿のなんという形の悪いこと」と冗談めかして書かれているが、本当はパリで「日本の女の和服姿のなんと形の良いこと」に改めて気づかれたのだろう。

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宇野千代著「宇野千代きもの手帖―お洒落しゃれても」
二見書房

(この本は、日本ファッション誌の草分け『スタイル』増刊号、『きもの読本』を元に作られている。『きもの読本』は、昭和24年から10年間、年2回の割合で発行されていたらしい。)

京都四条南座、四代目坂田藤十郎襲名披露狂言 

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お正月一時帰国の際に5歳の時からの親友と京都南座、顔見世興行に行くのも今年で3年目。恒例行事となりつつある。毎年彼女にはチケットやお弁当の手配だけでなく、着物を借り着付けまでもお願いしていたのだ。今年から着物だけはようやく彼女の手を借りることもなくなった。と言っても普段はお仕立てや洗い張りからきものまわりの事まで彼女が京都からサポートしてくれているからこそ私はパリで着物を楽しむことが出来ている。そもそも私のきもの熱のきっかけは成人式以来初めて顔見世のために彼女に着物を着せてもらった事と無縁ではない。

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友人はボタン雪がハラハラ舞う夜空を連想させる深い茄子色の紬にパンテールの柄が入った洛風林半幅帯。私の桜鼠色の手描き付け下げは父方の伯母にいただいたもの。丸窓に四季の草木が大胆に配置されている。伯母は一度も袖を通さないまま、かれこれおよそ60年経つらしい。

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「本朝廿四考(ほんちゅうにじゅうしこう)十種香(じゅうしゅこう)」の人形浄瑠璃の動きを真似た藤十郎の演ずる八重垣姫(やえがきひめ)に感心しつつ、「相生獅子(あいおいじし)」の姫、菊之助の美しさに言葉を失ってしまう。

京都四条南座
京都市東山区四条大橋東詰
Tel: 075.561.1155
http://www.shochiku.co.jp/play/minamiza/index.html
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