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植物素材の織物 Etoffes végétales  

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(左上)フィリピンの伝統織物、パイナップルを使ったピーニャ。フランス人作家の作品
(右上)苧麻(ちょま)を原料とする宮古上布、日本重要無形文化財

ここのコメントで薦めていただいた志村ふくみ、鶴見和子両氏の対談集「いのちを纏う」を読み、少し植物染色を理解できたような錯覚に陥っていた矢先、Etoffes végétales(意:植物性織物)と題されたパリ15区、個人宅での展示会に誘っていただいた。フランス、ドイツ、ユーゴスラビア、そして日本の女性織物作家4人の植物繊維を原料にした作品展である。

着物への興味と「植物素材」という今の私のキーワードが融合したこの展示会で私は3時間をも過ごし、いらしていたヨーロッパの作家の方たちに失礼な程、3時間のほとんどを宮古上布の鑑賞と宮古島出身の作家さんへの質問に費やすという子供っぽさをさらけ出した。

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(上)植物染料で染められた苧麻糸

この本のお二人の会話はきものについての対談を超え、自然や社会についての話にまで掘り下げられる。一番印象に残ったのは植物染料のみを使用し、色を追求されてきた紬織の人間国宝、志村ふくみさんの自然に対する崇高ともいえる敬意である。

志村:ゲーテは「植物は秘密を打ち明けてくれる」と書いているんです。人間が勝手に木を伐って、色を出して、ああ、植物染料の色が出た、では秘密は打ち明けてくれないんです。そうじゃなくて、植物からいただくんだ、どんな色が出るかわからないけども、いただくんだと思った時に初めて、植物が秘密を打ち明けてくれ始める。植物は自分を投げ出して色をみせてくれるのです。植物に対する畏敬の念が大切ですね。(引用「いのちを纏う」)

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(上)弘法さん出身の赤銅色紬と唐花模様名古屋帯

宮古上布一反を仕上げるために2ヶ月は最低かかるという。自然から生まれた染料や繊維と長い間ふれあい、向き合っていると化学で作られた素材とは出来ない対話が出来るようになるのだろうか。この一冊の本のおかげで一つの展示会の見方が大分広がったように思う。また少し日本の着物を理解できたような嬉しい錯覚に陥っている。


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「いのちを纏う―色・織・きものの思想」
志村ふくみ・鶴見和子
藤原書店

うやさん、どうもありがとうございました。
同書に関するakeさんの「京都で、着物暮らし」の記事
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パリ・オペラ座の陰翳礼讃 

昭和8年に発表された谷崎潤一郎氏の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」は仏語で「éloge de l’ombre(意:陰の賛美)」と訳され、建築科の講義等でも使用されている。私は海外の美術館で観音様などが明るい照明の下に陳列されているのを見るたびに少し胸を痛め「ここのキュレーターはあの本を読んでいないのかしら」などと思ってしまう。この著書の中で谷崎氏はかげの中にこそ日本の美の本質があるとし、西洋の美との相違を指摘している。

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われわれ東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。(中略)美は物体にあるのではなく、物体と物体の作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。(中略)陰翳の作用を離れて美はないと思う。

雪の降っている日に比叡山を巡礼したことがあった。今でも記憶に残っているのは本堂の暗闇とお香の煙の中で微かに金色の光をはなっていた仏像の美しさである。この時、谷崎氏の文章が視覚化された感があったが、実はパリでも似た感覚を持つことがたまにある。

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先日William Forsytheのモダンダンスを見に行った時もそうであった。白い蛍光灯を使用している新オペラ座と違い、1875年完成のガルニエ・オペラ座は一歩入ると緩いオレンジの明かりに包まれる。金と真紅を基調とした観客席は贅沢で華美な装飾で覆われているにも関わらず落ち着いた品のある空間である。天井の隅に施された金の浮彫模様などは「陰翳礼讃」の文章を彷彿させる。

(前略)もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が(中略)ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。(中略)私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。

たとえ日本人であっても蛍光灯で育った現代人は西洋にあって暗がりの美を感じることが出来るようだ。この日は真綿紬を着ていったがこの劇場にはやはり柔らか物の方が似合う気がする。今度行くときは金箔袋帯を紋付色無地に合わせてみようか。薄暗い客席内の金色のお太鼓に陰翳の美を見てくれる人がもしかしたらいるかもしれない。

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谷崎潤一郎著「陰翳礼讃」
中央公論社

有吉佐和子著 『乱舞』  

着物の描写が魅力的な作品にとても弱い。有吉佐和子さんの著書で惹かれる文章に出会うことが多い。

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(前略)眼の利く男たちに招待された宵は、衣装選びに神経がいる。あれかこれかと合わせてみて、ようやく色紙を折り散らした絽綴(ろつづれ)を選びあげると、秋子はほっとして帯を締めた。着物の紋紗は竹の模様なので、帯とで七夕(たなばた)が揃うのである。

上は舞踊界を舞台に描く『連舞』の続篇『乱舞』で家元夫人の秋子が芸術界の保護者的人物の別荘へ出かける前のシーンである。着物の竹と帯の色紙で七夕!着物上級者にはおそらく当たり前なのであろうこの柄合わせもルーキーの私にはほとんど衝撃的であった。

先日たまたまアクセスしていたE-BAYで浅黄色の紗を発見し購入。笹模様だ。上の文章を強く意識した買い物である。7月までに色紙模様の夏帯を探さなければ。

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有吉佐和子著「乱舞」 
集英社

E-BAY
オークションサイト。首を傾けたくなるような物を売っている店も多いが蚤の市を見る気分で楽しい。着物を扱っている店もある。海外発送をしてくれる日本のオンライン着物屋さんは少ないのでたまについつい見てしまう。
http://www.ebay.com/

『宇野千代きもの手帖―お洒落しゃれても』 

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宇野千代さんと言えば『色ざんげ』や『おはん』が代表作だが、彼女は小説を書くかたわら『宇野千代きもの研究所』を設立し、雑誌『きもの読本』を刊行、さらに銀座に『きものの店』を出店し精力的に着物のデザインを手掛けた方である。そんな彼女の『宇野千代きもの手帖』に次のような文がある。

パリへ出かけたとき、私は和服で行きました。飛行機でも和服、向こうへ着いてからもほとんど和服で通しました。(中略)たまには洋服で歩きたいと思ったのですが、さて洋服を着て、おもてへでてみると、日本にいる間には思ってみなかったことですが、この私という若いとはいえない東洋の女の洋服姿のなんという形の悪いこと。街のショーウィンドゥに映る自分の姿にヘキエキして大急ぎでホテルへ帰り、また和服に着替えたものでした。日本の女は和服の方が百倍も美しい。それは私のような若くない女だけのことではなく、どんなに若々しい溌剌(はつらつ)としたお嬢さんでも和服の方がダンゼン美しいと思うのです。

西洋人が東洋人よりも美しいという事実はないが一般的に美の基準が西洋的ものさしで図られがちな様に見受けられる。日本人は日本人として美しくあるべきで西洋的な美を求めても自然な美ではなくなってしまうのではないか。肌や髪や目の色を極端にまで変え、自分自身とは違うものになっているつもりでいる人を見るのは少し悲しい。

宇野千代さんは「東洋の女の洋服姿のなんという形の悪いこと」と冗談めかして書かれているが、本当はパリで「日本の女の和服姿のなんと形の良いこと」に改めて気づかれたのだろう。

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宇野千代著「宇野千代きもの手帖―お洒落しゃれても」
二見書房

(この本は、日本ファッション誌の草分け『スタイル』増刊号、『きもの読本』を元に作られている。『きもの読本』は、昭和24年から10年間、年2回の割合で発行されていたらしい。)
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