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パリで映画館になったお寺の話 

パリの首都としての歴史は京都や奈良のそれよりも古く長いが、現在誰もが思い浮かべるパリ市の景観の歴史は以外に浅いものである。19世紀半ばまでのパリは日の当たらぬ袋小路に住居がひしめき合い、汚物は道へ、汚水はセーヌ川へといった非衛生きわまる中世都市であったという。

1magprint1.jpgLe Printemps

ナポレオン3世の統治下、セーヌ県知事であったオスマン男爵(Georges Eugène Baron Haussmann 1809~91)が1853年から1870年の間に着手したのがパリの大改造である。約2万戸の古い住居を容赦なく撤去するという手荒い方法であったようだがわずか17年の間に進められた貧民街の一掃、街路の拡張、直線化、広場の造成、上下水道の整備、公園の建設、街灯の増設、橋の建造により、パリは近代都市へと生まれ変わる。

この近代的空間に新しい建物が次々と姿を現し、文化と経済の繁栄が謳歌されたベル・エポック(意:美しき時代)の舞台が完成されていく。この時代の建造物は鉄骨構造とガラス天井が特徴であり、グラン・パレやオルセー美術館、パリの百貨店などは今でもその面影を色濃く残している。

0406_bonmarche(15).jpgLes Galeries Lafayette

ガラスの天窓に吹き抜けの大空間、エッフェル塔をデザインしたグスタブ・エッフェル氏が担当した鉄筋構造などの最先端の建築技術をいち早く駆使したのがパリ左岸にあるル・ボン・マルシェであるが、この百貨店が最先端であったのは建築技術だけではない。値段交渉が主流であった19世紀に現在のデパートの姿である入店自由、定価表示、通信販売、商品配達、返品可、バーゲンなどの販売方法を導入し、接客態度や商品ディスプレイに気をくばり、店員の福利厚生を確立したのはすべてル・ボン・マルシェ創立者であるブシコー氏(Aristide Boucicaut 1810-77)が初めてであるらしい。世界初の百貨店の誕生である。

0406_bonmarche(7).jpgLe Bon Marché

ル・ボン・マルシェをモデルにした小説『ボヌール・デ・ダム(意:ご婦人方の幸福)百貨店』の中で著者のエミール・ゾラはデパートの事を「浪費の狂気に捧げられた神殿」と呼んでいる。産業革命が進み、安価で質の良い商品が流通し、ガラス窓とガス灯により明るく照らされた近代的空間に流行の品々が美しくディスプレイされた。買い物が必要なものから楽しむものに形を変えた時代である。

この世界最古のデパートの支配人モラン氏がある面白い買い物をしている。ル・ボン・マルシェからロダン美術館へ行く道を散策していて突然現れる東洋のパゴダに驚いた人もいるかもしれないがこれはモラン氏が妻へのプレゼントとして購入した日本のお寺である。1895年にパリで再建されたこのお寺は当時流行していたオリエンタリズムをテーマにした社交会場として活用されていたらしい。1931年に映画館として改装され、現在にいたっている。
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0406_bonmarche(6).jpgLa Pagode

パリが熟しきっていた19世紀末、日本美術に心酔した芸術家や文化人がいた。ジャポニズムといわれる流行である。その当時コレクター達は競って日本の芸術品を購入したようだが、ここまで大胆な個人での買い物も少なかったのではないだろうか。日本生まれのこの建物は現在パリで映画館として親しまれ、重要文化財として保護されている。

La Pagode パゴダ映画館
57 bis, rue de Babylone 75007 Paris
Tél : +33.1.45.55.48.48

Le Bon Marché ル・ボン・マルシェ
24, rue de Sèvres 75007 Paris
Tél : +33.1 44 39 80 00
http://www.lebonmarche.fr/

photos: Thames & Hudson
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LES COUPLES PARFAITS (完璧なカップル達) 

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「Le Baiser」Auguste Rodin,1886

Valéria Bruni-Tedeschi(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)はとても好きな女優なのだが   日本での知名度はどのくらいのものなのであろうか。彼女の妹でモデルのCarla Bruni  (カーラ・ブルーニ)の方が有名なのかもしれない。彼女が出演している今回の作品は今までにも増して気になっていた。

『Un Couple Parfait』(意:完璧なカップル)と題されたこのフィルムは役者も、設定も、扱うテーマも極めてフランス的な作品である。15年連れ添った夫婦の別離までの最後の数日。2人が駅で抱き合うポスターの中で唯一フランス的でないのはNobuhiro Suwaという監督の名前だけである。諏訪信弘監督は2002年にMarguerite Duras (マグリット・デュラス)原作 『Hiroshima Mon Amour』(邦題:二十四時間の情事)のリメークを『ベティ-・ブルー』の  女優、Béatrice Dalle(ビアトリス・ダル)で撮った人だ。

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映画の中でブルーニ・テデスキがロダン美術館を訪れるシーンがとても印象的で久しぶりに足を運んでみたくなった。ロダンが1908年から没年までアトリエとしていたパリ7区にある 18世紀築ビロン館は現在美術館として公開されており「接吻」や「考える人」、「地獄門」を含む彼の傑作に出会える。

思出の中にたふとく金色(こんじき)すロダンと在りしアトリエの秋

これは1912年に夫、鉄幹とビロン館までAuguste Rodin(オーギュスト・ロダン 1840-1917)に会いに行った与謝野晶子の詩である。2人はこの時まずパリ郊外、ムドン村にあるロダン邸を訪ね、当時内縁の妻であったローズ・ブレに生憎ロダンはパリのアトリエで制作中だと教えられたらしい。72歳で正式にロダン夫人となり同年に亡くなるまで50年以上彼の芸術活動を影で支えた彼女よりも、ロダンの名前にはCamille Claudel(カミーユ・クローデル 1864-1943)の存在を結びつける人の方が多いのであろう。

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「La Valse」Camille Claudel,1905 「La Danaïde」Auguste Rodin,1890

Isabelle Adjani(イザベル・アジャーニ)がカミーユを演じた映画があったが、このフィルム  以前はフランスでも「クローデル」と言えばカミーユではなく彼女の実弟、Paul Claudel(ポール・クローデル 1868-1955)の事を指す場合が明らかに多かったらしい。著名な詩人及び劇作家であったポールは1921年から27年まで駐日大使を務めた外交官でもある。

カミーユの知名度が上がるにつれ、彼女についての研究も進み、ロダンの作品と思われていたものが実は彼女の手によるものだったと判明したケースも少なくないらしい。2人の彫刻を前にすると作風が似ていると言う以上にお互いの作品に手を加え、影響され、惹かれあった証拠を見せ付けられているようである。ロダンによって花咲き、葬り去られた女性芸術家としての印象の方が作品自体よりも注目されがちなカミーユ。彼女が30年後に生涯を閉じる精神病院へ収容されたのは与謝野夫婦がバロン館を訪ねた翌年の春のことである。
日本にも彫刻家に愛され、自分自身も芸術家としての才能に溢れながら、気がふれたとされている女性がいる。

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0306_couples(3).gif切絵:高村智恵子

僕はあなたをおもふたびに
一ばんぢかに永遠を感じる
僕があり あなたがある
自分はこれに尽きてゐる


僕等「智恵子抄」高村光太郎著

愛の詩集という言葉がここまで素直に溶け込む作品も少ないのではないか。与謝野夫婦の愛弟子ともいっていいであろう高村光太郎は夫婦より一足先の1908年にパリに滞在している。ロダンに感銘を受けていたらしが本人には会わなかったようだ。彼は後に「ロダンの言葉抄」を翻訳している。

高村光太郎と智恵子、与謝野鉄幹と晶子、ロダンとローズ・ブレ夫人、ロダンとカミーユ。  純愛、略奪愛、夫婦愛、狂愛。。他人が選んだ範疇に縛られながら語り続けられるあまりにも有名なカップル達。私の中ではそれぞれに完璧なカップル達である。

ロダン美術 Le Musée Rodin
Hôtel Biron
77, rue de Varenne 75007 Paris
Tél : +33.1.44 18 61 10
www.musee-rodin.fr

photos: www.allocine.fr, www.musee-rodin.fr

2月1日付「祖母の形見の話」にお寄せくださったakeさんのコメントもご参照ください。

パリ・邦画事情 

名前と出身地を尋ねられたので答えると「僕がこの前観た映画の通りじゃないか!」、と目を輝かせたフランス人がいた。1982年のカンヌ国際映画際に出品された高林陽一監督の『雪華葬刺し(せっかとむらいざし)』は京都を舞台とし、茜(あかね)という女性、彼女の恋人、天才刺青師とその弟子の複雑で奇妙な人間関係を描いた物語である。

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小津安二郎や黒澤明などの作品名がすらすら出てくるシネフィルはパリには少なくない。恵まれた映画環境と商業的でないシネマに対する感性が備わっている場所である。パリ市内だけで大小100以上の映画館があり、1週間に300本あまりのフィルムが上映されている。必然的に新作だけでなく古い映画も沢山あり、輸入物も数多い。

例えば今村昌平の作品ばかりをある期間まとめて上映していたり、北野武の作品が日本に先駆けて観られたりする。『となりのトトロ』は大抵、数箇所の映画館でやっているようだ。

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これはもちろん邦画だけに限ったことではない。イランや中国やアルゼンチンやセネガルの作品もこの街ではそうして上映されている。しかし邦画を含むアジア映画への興味がここ数年特に著しいのは確かだろう。それにこれは今に始まった事ではないと思うが文化度の高さを自負するフランス人はハリウッド映画に拒否反応を示し、溝口健二の『雨月物語』や大島渚の『愛のコリーダ』について語るのを好むとするのが常のようだ。

アジア映画びいきの友人に進められて日本の映画を観にいった。「白黒の美しい作品で女優の役名があかねに似ている。」という。1965年作の『清作の妻』は増村保造監督と若尾文子コンビで作られた数多い映画のうちの1本である。日露戦争に揺れる日本を舞台に若尾文子が白黒の明かりで一層目映く、モノトーンでしか見えないためか着物の柄や質感に余計目が引かれる。

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たしかに彼のいう通り大変美しい作品ではあったが「あかねに似た名前」とはどうも清作の妻、「お兼(おかね)」のことであったらしい。

photos: http://www.allocine.fr
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