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「薩摩焼パリ伝統美展」セーブル美術館 

この子の出番はもうないかもと思っていた母の若い頃の梅の花小振袖をたとう紙から出せる嬉しい機会が先日あった。

Satsuma(1).jpg06.01blog_momredkimono(1).jpg小振袖を着た結婚前の母

パリ郊外にあるセーブル美術館は、19世紀初頭に創設されたヨーロッパ最古の陶磁器専門の美術館である。この国立陶磁器美術館で「薩摩焼パリ伝統美展」が開催されていたのだが、これは1867年のパリ万博で初めて薩摩焼が展示された140年記念行事であったらしい。この展示会のクロージング・イベントとして坐忘斎お家元がご講演をされることになっており、裏千家パリ出張所の一生徒として、お手伝いさせていただくことになった。

前もってお茶の先生から特別な行事のため装いは少し華やかに、というお話があったのだが、その中で「あかねちゃんは振袖で」という指示をいただいたので、箪笥の底でぺったんこになっていたこの着物が思いがけず日の目を見たというわけである。お茶を立てられる場ということと、「派手にならないように」との先生のお言葉もあり、髪型も着付けの先生に結んでいただいたふくら雀も小さめに。袖も二尺程度なのだが、普段より少し袖が長いだけですっかりおめかし気分である。小さい頃、いつもより少し長いスカートをはかせてもらっただけでお姫様気分になれたのを思い出した。

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千宗室家元のフランス公式訪問は今回が家元継承後、初めてであったらしい。お父さまの千玄室大宗匠は海外への茶道普及に心を砕かれたということであったが、当代お家元は国内の活動を大切にされていると聞いていた。そんなこともあり、少し保守的な感じの方を勝手に想像していたのだが、実際にお目見えして、寛大でユーモアをお持ちの方という印象を受けた。千家は京都のもうひとつのロイヤルファミリーといっても過言ではないかもしれない。遠い国まで足を運び、生徒一人ずつに優しく声をかけ、私をお姫様気分にしてくださった方は茶の湯の王様なのである。
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着物はじめ 

まだクリスマスの飾りが街中に残っているパリであるが、そろそろ暦では晩冬が過ぎようとしているようである。先日お茶のお稽古に行く前に歳時記に目を通していたら旧暦で今頃の時期のことを春待月(はるまちづき)というと学んだ。最近は毎日があっという間に流れ、このままでは一度も着物に袖を通すことなく立春になってしまいそうな気配である。

時間の長さは今まで過ごしてきた年月の長さによって感じると、どこかで読んだことがある。例えば5歳の子供にとっては1年は20%だが50歳の大人には2%にしか感じられないということだ。なるほど、小学生の頃は一年間が永遠とも感じられたのに、今では知らぬ間に数年経っていたと嘆くはずである。

時間の感覚には他にもいろいろな説があるようで、私が納得するのが好奇心との関係である。初めて歩く道では行きよりも帰りのほうが短く感じられるのが通常だという。初めて見る風景には好奇心がわき、多くの情報をキャッチしようとするが、すでに見た風景には興味が薄くなる。多くの景色を頭にインプットした時のほうが、風景を横目で見過ごした時よりも時間が長く感じるという研究結果があるとのこと。子供は大人に比べて、日々見るもの聞くものが新鮮であり、好奇心が多いことが時を長く感じさせているということであるらしい。

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名古屋帯に仕立て直した母の若い頃の着物を、父が年末に沢山のお土産と共に持ってきてくれた。前身頃のシミがどうしてもとれず、着物好きにならなかったら、おそらく捨てられていたであろう母の小振袖である。今頃の時期を旧暦では梅初月(うめはつづき)とも呼んでいたと歳時記で知り、日本庭園をふと覗いてみると紅いつぼみが開いていた。茶道への興味が芽生えていなかったら見過ごしていたかもしれない紅梅である。どうも好奇心とは時間の流れをゆっくりにしてくれる他にも色々なききめがあるらしい。好奇心が持ってきてくれたこの帯を、今年の着物始めに締めてみよう。

祖父自慢 その1 母方編 

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少し自慢をしてしまおう。私には2人のとても素敵な祖父がいる。

「いる」としてはいけないのかもしれない。父方の祖父は8年前に98歳で亡くなり、今健在なのは現在96歳の母側の祖父だけである。父の「大阪のおじいちゃん」に対し、アメリカで生まれ育ち、東京に住んでいた時期のあった母方の祖父は「アメリカのおじいちゃん」であり「東京のおじいちゃん」でもある。今は私の両親の近くに一人暮らしをしており「京都のおじいちゃん」となっている。出かけるときはスカーフと帽子を欠かさない祖父の事を私の幼馴染は「お洒落なおじいちゃん」と呼ぶ。この年になっても周りに細かい気配りのできるいつも凛とした祖父である。

年末京都に帰った折、祖父に数枚きものを貰った。手の器用な人であった祖母が縫ったものもある。もちろん男物なのでそのまま着るというわけにはいかないが、どうしても受け継ぎたい。艶のある深い色の紬たちを自分用にリフォームできたら自慢の祖父から譲り受けた自慢の品になるだろう。

バレンタインの日にパリから「京都のおじいちゃん」へ尊敬の念と大きな愛情を贈りたい。

祖母の形見の話 

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たしか三島由紀夫が著書『金閣寺』の中で「この世を去ったものは愛されやすい形をしている」というような事を主人公に言わせていたと記憶するが、一理あるのかもしれない。私は一度も面識のない、若くして亡くなった父方の祖母に幼少のころから絶対的な憧れのようなものを抱いている。明治生まれの女性なら当然なのだろうが、写真の中の彼女がいつも着物姿なのも私の想いに滑車をかけたようだ。

祖母の着物は私の手元には一枚も残っていない。戦時中でもあり、親戚に分けられたり他のものに作り変えられたりしたと聞いた。長い間祖母の形見は写真だけと諦めていたが、思いがけず彼女の持物を受け継ぐことになった。

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数年前、伯父が「こういう物が残っていたから」と祖母が使っていた瑪瑙(めのう)のかんざしを私にくれたのだ。赤褐色の石をつぼみに見立て、金細工の葉が添えてある。さらに去年、父が祖母の嫁入り道具だった桐箪笥2竿(さお)を祖父母の家から運んでくれ、痛んでいた部分を修理してくれた。パリにおけない着物が京都で祖母の和箪笥に整理されていると思うと安心する。かんざしはパリの私のもとにあるのだが、落とすのが怖くてまだ外にはつけて行ったことがない。

祖母の形見が今手元にあるのも着物熱の功名というものか。祖母が亡くなった年齢にあと数年で追いつく。

母のきものは宇野千代流 

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私の母はあまり着物に興味がないらしい。私の記憶している限りでは着物姿の彼女を一度も見たことがない。

そんな母も着物に袖を通す機会は皆無ではなかったらしくその証拠にこのような写真が私のパリの部屋を飾っている。これは母がバークレー大学在学中の文化祭に似たイベントの際に、日本の歌をお披露目したときの体育館でのワンシーンであるらしい。

1960年代に書かれた宇野千代さんの「宇野千代きもの手帖」に次のような文がある。

帯は細く洋服のサッシュかベルトの感覚で細く、というのが最近の傾向ですけどそれを意識的にすべて細帯にして、振袖のような場合にも、後ろはお太鼓ではなく、だらり風にして(中略)ウエストのところにキュッと帯を細く締め、腰の線にすらりと自然にそのままにしてみますと、なんと胴の細く、長く美しいことでしょう。

これを読んだときこの写真の母の姿通りであることに気がついた。

去年この小振袖を洗い張り,寸法直しをしてもらい、どうしても取れないシミは金箔をかけて隠してもらった。10代の母とアメリカに渡り京都で40年程眠った後、三十路に手の届いた私とパリにやってきたのである。

一つのものを受け継ぐということは譲る方にとっても、譲られる方にとっても喜びがあるものと思う。その品に歴史があり、さらにその歴史が身内のものであることが、その喜びをより大きいものにするようだ。

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