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バレイ「くるみ割り人形」オペラ・バスチーユ 

京都に顔見世があるように、欧米の年末にはくるみ割り人形がある。チャイコフスキーの三大バレイのひとつである「くるみ割り人形」はこの季節になると、毎年多くの劇場で公演が繰り返される演目である。

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クリスマスイブ、クララはプレゼントにくるみ割り人形をもらう。みんなが寝静まった頃、クララは突然人形ほどの大きさになり、はつかねずみの大群に襲われるが、くるみ割り人形が指揮する兵隊人形に救われる。第2幕では凛々しい王子さまに変身したくるみ割り人形がクララを雪の国、そしてお菓子の国へと招待し、さまざまな精たちのダンスが披露されるというストーリーである。お菓子の国での音楽はディズニーの「ファンタジア」でも使われたもので、多くの人に耳覚えのあるものであろう。

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クリスマスはいつごろから日本に定着したのだろうか。私も物心がついたときからクリスマスが待ち遠しくて、毎年イブにはサンタさんに飲んでもらえるように暖かいミルクをリビングのテーブルにおいていたのを覚えている。日本では恋人のイベント日のようにもなってしまったクリスマスだが、やはり子供達が楽しみにしている行事にはかわりないようである。でも国をあげて他宗教の祭日をここまで熱心に祝う国民も珍しいであろう。25日が過ぎると一転して街は和風になり、お正月の準備に心を砕くところもおもしろいところである。

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塩漬け繭色無地一つ紋に絞り名古屋帯

日本のクリスマスを西洋文化の真似事や商業主義だとする意見は決して間違ってはいないかもしれない。でも長くて悲しい宗教紛争の歴史を持つ国を見ていると、かたよった範囲とはいえ異教徒の習慣を吸収できる国民性を一蹴にしてしまうのもためらわれる。信仰心が特になくても、デパートの商戦に少しぐらい踊らされても、サンタクロースに心弾ませるのはそんなに悪いことではないのではないか。毎年街のイルミネーションが灯り、「くるみ割り人形」の舞曲を耳にすると思うことである。
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椿姫尽くし 

去年はバレエの「椿姫」で始まってオペラの「椿姫」で終わった私の観劇の一年であったが、今年のシーズンも思いがけず「椿姫」で開幕となった。ロンドンの椿姫さまのお知り合いの方にチケットを譲っていただく、という嬉しい椿姫尽くしである。

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一年以上前からチケットをまとめて予約するシステムでは、スケジュール上どうしても無理があったので、今年からは別個に買い求めていたのだが、そうなるとやはり人気のある演目やいい席は皆無となる。いただいたチケットはBalcon Fauteuil(バルコン・フォトイユ)、自分ではなかなかとれない席である。

パリ・オペラ座では1階の左右にあるボックス席をBaignoire(ベノワール=浴槽)、舞台正面の平らになっている1階席はOrchestra(オーケストラ)、そしてOrchestraの後方にある段の高い席がBalconと呼ばれる。2階から6階まであるバルコニー式のボックス席はLoge(ロッジュ)、正面5階ロッジュはAmphithéâtre(アンフィティアット)、正面席以外の天井桟敷はStalle(スタル)という名称で知られる。

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2200席程のこんなに小さな空間に今でもここまでしっかりと階級社会の形が残っている場所もめずらしいかもしれない。もちろん貴族の社交場であったオペラ座に足を踏み入れることのできない階層の方が多かったのだろう。オーケストラ席を眼下に、舞台を真正面に見据えられるBalconが限られた人たちの場所であったのは明らかである。

その日は3時間の上流階級を味わいついでに、そのままホテル・ジョルジュ・サンクのレストランで夕食をすることにした。少し背伸びした日曜日を過ごしながら、映画「プリティー・ウーマン」の中で、ジュリア・ロバーツがオペラ「椿姫」のヴィオレッタに自分の境遇を重ね合わせて目に涙をためるシーンや、「見知らぬ方のご親切」という映画「欲望という名の列車」の台詞を思い出して、椿姫さまが作ってくださったありがたい縁に感謝したのであった。

(素晴らしい公演でした。遅くなりましたが、この場を借りてお礼を申し上げます。どうもご親切にありがとうございました。)

紅染の衣に似たれば 

古典の成績は今一パッとしなかった私だが、やはり女子高生として平安時代の女流歌人には人並みの興味を持っていたように思う。興味を持っていたといっても紫式部が清少納言について書いた悪口だとか、女性の見栄や嫉妬など今も昔も変わらぬ人間臭い部分に魅力を感じていたという程度である。そんな文学度が極めて低かった女子高生を少し振り向かせてくれたのは清少納言より年下、紫式部より少し年上で、藤原道長から「浮かれ女」と評されたという才媛、和泉式部である。

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黒髪のみだれもしらずうち伏せばまづかきやりし人ぞ恋しき
(黒髪が乱れる事も気にせずに床にうち伏せていると、この髪をかき撫でてくれたあの人が恋しくなります)

この作品のように艶っぽい秀歌が多く、恋がわかったような気になっていた17歳の私は敏感に反応したようである。人の妻の身でありながら冷泉天皇の第3皇子為尊(ためたか)親王と恋に落ち、偽尊親王没後、その同腹の弟、敦道(あつみち)親王から寵愛をうけ、宮廷に迎え入れられた和泉式部。教養高い貴公子に次のような歌を作らせた女性である。

われが名は花盗人(はなぬすびと)と立たば立てただ一枝は折りて帰らむ
(たとえ花盗人(他人の妻を奪う人)と呼ばれても、この花一枝(和泉式部)は私が折っていこう)
  
敦道親王との恋歌の応酬を綴ったのが「和泉式部日記」だが、これを題材にしたSalvatore Sciarrinoによる創作作品、「Da gelo a gelo(ダ・ジェロ・ア・ジェロ=寒から寒へ)」がオペラ・ガルニエで公開された。イタリア人作曲家のSciarrinoは十代の頃から俳句に親しんでいたというジャポンフィル(Japonphile 親日家)であるらしい。

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よの中に恋てふ色はなけれどもふかく身にしむ物にぞありける
(世の中に恋という色はないけれども、こんなにも深く身に染みるものなのですね)

この時、敦道親王は23歳、和泉式部は30歳少し手前であり、敦道親王が27歳という若さで他界するまで2人の関係は続いたとのこと。この当時は今に比べると短命な時代だが、時間の流れ方がゆるやかで、若くして人生を深く見つめ、思いをはせる機会も多く、物を感じ取る力も研ぎ澄まされていたのだろう。そんな時のあり方を丁寧に伝えた創作オペラである。

このオペラの際に袖を通した単衣紬に合わせた帯は着物の大先輩にいただいた紙子の帯である。絹のように虫を殺さず、女手をわずらわせずに修行僧が作った紙衣は仏の戒律にかなった衣料として1000年以上も前から使われていた、とある本に書いてあった。もともと紙は朝廷や仏僧のみの貴重品であったが、江戸時代からは大量に市場に出回り、麻などに比べて風を通さない防寒着として庶民に愛用されるようになったらしい。

和泉式部の和歌の中で私がとても愛らしいと思うのが次の恋歌である。

岩つつじ 折りもてぞ見る 背子(せこ)が着し 紅染(くれなゐぞめ)の衣に似たれば

「あの人が着ている紅染の衣の色に似ているので、つい、岩つつじを折ってきてしまいました」と謡っているのである。若い男性が着ていた意匠の色ならこの紙子の帯くらいの紅色だったのかもしれない。女子高生でなくなって久しくたった今、さらに感情移入できる歌である。

パリ・オペラ座松竹大歌舞伎 

ヨーロッパでは日本で桜の開花がニュースになることがニュースとして取り上げられている今日この頃である。今年も日本の桜は見られなかったが、その代わりに日本でも珍しいという豪華な配役の歌舞伎公演を見る機会に恵まれた。パリ・オペラ座での松竹大歌舞伎である。いつものまばゆいオペラ座に入ると、柿、黒、萌葱の定式幕(じょうしきまく)がかけられており、共に四百年の歴史を誇る歌舞伎とオペラの劇空間がなかなかすんなりと共存していた。

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市川家に伝わる歌舞伎十八番「勧進帳」では市川團十郎と海老蔵父子が交代で弁慶と富樫を演じ、ロンドン公演にも出演していた亀治郎が義経、という配役である。「口上」では一座の幹部俳優9人全員がかみしも(裃)姿の正装で初お目見えのご挨拶をフランス語でこなし、市川家伝統の「にらみ」を団十郎が披露した。

もちろん花道などないガルニエの舞台は歌舞伎座のそれより横幅が狭いだけでなく、天井が高く、色々工夫が必要であったらしい。普段はオーケストラが入る部分に所作台をかぶせ、観客席の真ん中の通路が花道の代わりである。

フランスのメディアでは今回の公演の劇評よりも歌舞伎の世襲制度をもの珍しく紹介している記事が多いようだ。いくら評論が好きなフランス人でも、演技を評価出来るほどの歌舞伎通のジャーナリストはまだ少数なのかもしれない。歌舞伎を目新しいものとして取り上げるだけではなく、ひとつの芸術として品評できる目をこの国で養うには後どれくらいの歳月がかかるのだろう。

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最後の狂言は「紅葉狩(もみじがり)」。戸隠山に住む「紅葉」という鬼女が紅葉の下で宴を催す美女に化けて、、というあらすじの舞踏の大変美しい華のある演目である。ただ花盛りのこの時期にどうして「紅葉狩」なのだろう、という疑問が日本人として残った。でも桜の開花がニュースになることがニュースになるこの国では私の疑問自体が疑問となることだろう。

オペラ 「Salomé」 Opéra Bastille 

踊りの褒美として洗礼者ヨハネの生首を所望し、銀の皿に乗ったそれに口づけした王女。新約聖書のエピソードを題材にオスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854- 1900)が仏語で書いた戯曲「サロメ」をもとにした絵画は数多くあるが、早逝したデカダンスの画家、オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley, 1872- 1898)が描いた「サロメ」の魅力を超える作品は少ないのではないだろうか。

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1891年に書き上がった「サロメ」は翌年サラ・ベルナール主演により上演されるはずだったが、聖書の人物舞台化禁止検閲のため、中止に追い込まれている。ようやく5年後にパリで初演された時は「サロメ」の英訳を引き受けたアルフレッド・ダグラス卿との男色事件により有罪を受けたワイルドは牢獄で強制労働に服していたという。ビアズリーの挿絵はダグラス卿が訳した英語版サロメために描かれたものである。

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ワイルドはビアズリーのサロメが気に入らなかったらしい。ビザンティン的な自分の戯曲に対してビアズリーの挿絵は「日本的すぎる」と言っている。ビアズリーはジャポニズムの色濃い作家として必ず挙げられる画家の一人であり、この挿絵の衣装も、平面的なコンポジションも浮世絵の影響を強く受けた結果だとされている。

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リヒャルト・シュトラウスがオペラ化した「サロメ」を先日見たとき、頭に焼きついたイメージの力に驚いた。ビアズリーの挿絵の印象が私の中で強すぎるため、舞台を見ていても何かが違う、と感じてしまうのである。グロテスクさが足りない。退廃芸術の匂いがしない。素晴らしいオペラなのに、なんとなくがっかりしてしまったのだ。

その日の着物は江戸紫に楓が染め抜かれた付け下げにしたのだが、これは私の所有しているビアズリー作品集の表紙が紫色であるのと無関係ではない。私にとっての「サロメ」はシュトラウスの音楽でも、ワイルドの戯曲でも、新約聖書でもなく、ビアズリーの絵に集約されるようである。
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