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フランス王妃のあだ桜 

フランスの最後の王妃、マリー・アントワネットのグラン・パレ展示会に行ってきた。幼少時代に過ごしたウィーンのシェーンブルン宮殿からヴェルサイユ宮殿での豪華な生活、そしてフランス革命の中でギロチン台に送られるまでの彼女にたずさわる絵画や彫刻、家具や手紙など300点以上を集めた展示会である。

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オーストリアの皇族、ハプスブルク家に生まれ、14歳でフランス王太子に嫁ぎ、18歳で即位したマリー・アントワネット。表面のみが絢爛豪華なヴェルサイユの空しい生活を紛らわすために、国の財政を傾かせるほどにパーティーや浪費にうつつを抜かした世間知らずの王妃。そのように語られる彼女は、あまりにも非凡な回り合わせを持った、いたって平凡な女性だったのではないだろうかと思わせる。恵まれた自分の境遇に気付かず、与えられたものだけでは飽き足らず、手の届かないものばかりを思い、目の前の楽しみで気分を紛らわす。

明日ありと思ふ心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは


これは親鸞聖人が出家をした時に詠んだ歌である。あだ桜(徒桜)とは散りやすく、はかない桜花のことだという。マリー・アントワネットの場合、若さゆえの美しさと、自分の努力で手に入れたものではない権力におごり、気がつけば花が散っていただけではなく、幹ごと切り倒されてしまうのである。

conciergerie_1.jpg コンシィエジュリ牢獄

ヴェルサイユ時代の理想化された彼女の肖像画や、彼女の部屋を飾った贅沢極まる装飾美術からは、マリー・アントワネットの素顔を垣間見ることは難しい。王政に対する国民の不満が爆発し、革命裁判で死刑判決を受けた後、彼女がコンシィエジュリ牢獄で最後に書いた手紙が残っている。夫であるルイ16世の妹、大変親しかったという義妹エリザベート王女へ宛てたこの手紙の中で、初めて王妃にふさわしいマリー・アントワネットの凛然とした姿が浮かび上がるようである。

妹よ、私の最後の手紙をあなたに宛てます。私は死刑の判決を受けましたが、それは犯罪者への恥ずべき判決ではなく、あなたの兄上に会いに行くようにとの判決なのです。あの方と同様に、無実の私は、最後まであの方と同じくしっかりとした態度でいたいと思います。良心の咎めがないので、安らかな気持ちでおります。あわれな子供達を残していくことだけが心残りです。私はあの子達と心優しい私の妹、あなたのためだけに存在していました。(・・・)息子が私が何度も繰り返した、父の最後の言葉を決して忘れず、どうかわたしたちの死の復讐など考えませんように。(・・・)

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去年購入した枝垂れ桜の帯が一年目の春にあだ桜とならぬよう、さっそく色無地紬に締めてみた。今、東京では桜が満開とのことだが、人間の女性の咲き方も実にさまざまである。狂い咲きに返り咲き、そしてマリー・アントワネットのような、はかなくも並外れた大輪咲きがあるのである。
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白結城で、志村ふくみ展 

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志村ふくみ「楽浪(さざなみ)」滋賀県立近代美術館所蔵 美術館HPより

先般の帰洛の際、ake様のお陰で滋賀県立近代美術館での志村ふくみ展に足を運ぶことが出来た。滋賀県近江八幡生まれの志村氏は地元にあるこの美術館へ多くの作品を寄贈されたという。素朴な優しい色や、これが草木染かと目を疑うほど鮮明な色など、志村氏が自然から「いただく」という色彩には見惚れるばかりである。

写真がなくて残念だが、とても印象に残った作品は志村氏が「思わず深入りした」と言う「源氏物語シリーズ」の「夕顔」と題された紬である。藤色の色無地と思いきや、袖と上前に市松模様が織り込まれている。たしか「源氏物語」の構想は紫式部が滋賀県にある石山寺で練ったものである。来年はこの小説が記されてちょうど1000年が経つという。

「夕顔」の余韻が残っていたのか、翌日書店で「源氏物語・現代京ことば訳」を手に取った。「ほんまに、どこに、こうまで心惹かれるのやろと、何べんも何べんも思いやす。」(夕顔の巻)という具合である。一方、「たまゆらの道」は志村氏がお嬢さんと染織源流の地を尋ねた紀行で、前から読みたかった随筆集である。玉響(たまゆら)とは、「玉が触れ合ってかすかに音をたてる」ことで「一瞬」や「かすか」という意味を持つらしい。

この日の着物は父方の伯母から譲り受けた結城で、50年程も反物のまま桐箱の中で眠っていたものである。友人が見繕ってくれた卵色の八掛けに合わせた紬の帯揚げと先日いただいたばかりの刺繍名古屋帯を締めてみた。今回はとんぼ帰りだった京都。普段のパリの生活に戻った今、帰洛の思い出は「たまゆらの夢」のようである。


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(左)「たまゆらの道・正倉院からペルシャへ」 志村ふくみ、志村洋子 世界文化社
(右)「源氏物語・現代京ことば訳」 中井和子 大修館書店

ロンドン美術館巡り 

残念なことに私は計画性のあまりない方である。今回も計画性のないままドーバー海峡を渡り、ウォータールー駅に着き、ホテルのアドレスを忘れたのに気づいたのはチューブに入ってからであった。

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こんな私でさえ、とても有意義にイギリスでの時間を使えたのはひとえにロンドンの友人達と、今回初めてお会いしたロンドンの椿姫さんのお陰である。誘っていただいた歌舞伎とオペラはもちろん、レストランやアフターヌーン・ティー、美術館などにもご案内いただいた。4日足らずの滞在で大小6つの美術館を巡った計算になるが、その中でも前から気になっており今回初めて足を踏み入れ、すっかり気にいった2つのコレクションがある。

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Courtauld Gallery, Somerset House

ウェストミンスター地区にあるコートールド・ギャラリーは1932年に実業家のサミュエル・コートールド氏の個人コレクションを元に設立されている。コートルードはまだフランス印象派があまり注目されていなかった頃に絹織物業でなした財をもとに第一級の作品を集めイギリスにおけるこの分野の開拓者と称されるらしい。「鑑賞とは作品との対話であり、絵が話しかけてくるまで。」 とはコートルード氏の言葉だそうだが本当に自分の感性に響く作品としっかり見詰め合った結果生まれた無駄のないコレクションである。

この日は歌舞伎の時と同じ絽に青磁色の夏帯を締めたのだが、コートールドで知らない方に「この帯の柄はなんというお花ですか?」と質問され、答えられずに赤面してしまう。

このギャラリーはかつては内国歳入庁であった18世紀築のサマセット・ハウス内に設けられており、噴水が備えられた中庭には冬になるとアイススケートリンクが設置されるらしい。椿姫さんと訪ねたその日は京都顔負けの猛暑。小さい子達が噴水の間を駆け回っていたのがとても絵になっていた。

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The Wallace Collection

マンチェスター・スクエアという小さな公園に面したジョージアン様式の洋館にハートフォード侯爵家5世代にわたるコレクションが入っている。1897年、第5代目にあたるリチャード・ウォーレス卿の未亡人によって「1品たりとも変えない」ことを条件にお屋敷ごと国家に無償で遺贈されたウォーレス・コレクションである。ある一家族の住んだ家でその家族が収集した芸術品の数々を見られるというのはとても個人的な境界にお邪魔しているような気になるものだ。実際第3代目侯爵の愛人達を描いたミニチュア肖像画もコレクションに混じっていたり、一番作品収集に熱心であったパリ育ちの第4代目侯爵の肖像画は一枚もなく、人前に出るのを嫌った性格が伺えるようだ。

コレクションはこの4代目侯爵が主に集めた18世紀フランス絵画、陶器を中心にヨーロッパの巨匠の大作が揃っておりハートフォード侯爵家の財力と確固たるセンスが見事に結晶している。ここまでのフランス芸術の作品群をパリ以外で一度に見られるとは想像もしておらず、とてもいい意味で驚きであった。

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wallace(2).jpg The Wallace Collection

規模の大小に関わらず、見ごたえのある美術館とそうでないものがあるが、この比較的小規模な2つはもちろん両方とも前者の方である。部屋を去るのが惜しいほど見つめていたい作品が多く、出てきた後にふと現実にもどったような錯覚にとらわれる場所である。

今回改めてイギリスの国立美術館入場無料制度の良さを実感した。公園のように公共の場として美術館が存在するイギリスでは美術館の定義自体が、美術館に対する認識自体が異なるような気がする。どこの国でも真似できるシステムではないのだろうがまったく羨ましい理想的な形である。

Courtauld Gallery コートールド・ギャラリー
Somerset House, Strand, London WC2R ORN
Tel: +44.20.7848.2777
http://www.courtauld.ac.uk

The Wallace Collection ザ・ウォーレス・コレクション
Hertford House, Manchester Square, London W1U 3BN
Tel: +44.20.7563.9500
http://www.wallacecollection.org/

アングルのヴァイオリン(Violon d'Ingres) 

去年の夏、京都市美術館でルーブル美術館展を見たことがあった。後で知ったことだが19世紀フランス絵画の巨匠、ドミニック・アングル(Dominique Ingres 1780 - 1867)最晩年の傑作「トルコ風呂」は、この日本での展示がフランス国外初めての出展であったらしい。

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Dominique Ingres「Le bain turc」1862、「La Grande odalisque」1814

上述の「トルコ風呂」を始め、ルーブルにはアングルの名画が集まっているがそれに加え、主にアメリカとフランスの美術館と個人所蔵の傑作を集めた40年ぶりのアングル回顧展が現在ルーブルで開催されている。87歳まで生きたこの大家の絵画が80点ずらりと並んだ 様子は圧巻である。普段はあまり見られない100あまりのデッサンも見所だが、その他にも1つ嬉しいおまけがあった。

「アングルのヴァイオリン」というフランス語の表現がある。アングルが幼少の頃から習っており、自分の作品を見に来た客に披露するのが好きであったというヴァイオリンから来ている言い回しである。もともとは芸術家における自分の専門でない余技を指していたらしいが今は広い意味で「趣味」の同義語として使われる。今回の回顧展では作品に混じってアングルのヴァイオリンも展示されている。もちろん言い回しではなく実物の方である。

0306_ingres(9).jpg Man Ray「Violon d'Ingres」1924

アングルはドガ、ルノワール、マチスやピカソに代表される後世の画家の作品にその影響の形跡を残しているがこの巨匠への数あるオマージュの中で私が気が利いていると思うのはこの表現をタイトルとしたマン・レイ(Man Ray 1890 - 1976)の作品である。アメリカ出身のマン・レイは1921年にパリに渡り、ここで骨を埋めている。モデルであり恋人であった  キキの後ろ姿をヴァイオリンに見立て、アングルが生涯描き続けたオリエントの女性を意識したこの写真はパリのポンピ・ドゥーセンター(国立近代美術館)で見ることが出来る。

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私のアングルのヴァイオリンは今はやはり着物であろう。この日は伯母の大島に袖を通した。アングルの時代のオリエンタリズムというと中近東への興味を指し、欧州の作家達の東への好奇心が日本まで届くにはさらに半世紀近くを要している。アングルが残したどこまでも緻密な肖像画の中の女性達はしゃりしゃりという音が聞こえてきそうなサテンのドレスに身を包み、重量感のあるしっとりとしたベルベットのリボンで細い腰を締めている。もっと早くジャポニズムがフランスに到来していればアングルの描いた京友禅や錦織りをまとった美人画が見れていたかもしれない。想像するだけで見事である。

Musée du Louvre ルーブル美術館
75058 Paris Cedex 01
Tél:+33.1.40.20.50.50
http://www.louvre.fr/
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展示会「VIENNE 1900」 グラン・パレ Galeries nationales du Grand Palais 

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VIENNE(ヴィエンヌ)とはフランス語でウィーンのこと。展示会の正式タイトルは「ウィーン1900年 クリムト、シーレ、モザー、ココシュカ展」。19世紀から20世紀にかけてオーストリアの首都で活動した4人の画家に焦点を当てたこの展示会がグラン・パレで昨年10月から開催されていたがずっと行き損ねていた。

総ガラス張りのドーム型天井があり、随所に見事な装飾が見られるグラン・パレ(大宮殿)はシャンゼリゼ通りの近く、セーヌ川右岸に位置する。1900年パリ万博に際しプティ・パレ(Petit Palais、小宮殿)と共に建てられ、かつては自動車/家庭用品見本市会場となっていたらしい。現在は約5000㎡におよぶ臨時展示場となっている。グラン・パレで開催される展示会にはいつもおびただしい人が訪れ、予約をせずに行くと数時間の列を覚悟しなければならないことがある。

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いわゆる「ウィーン分離派」の作家の中で、日本でも人気があるのがグスタフ・クリムト、それに継いでエゴン・シーレだろうか。クリムトの金銀を多用したきらびやかな装飾性やルネサンス以来の西洋絵画の遠近法とは異なる平面性についてよく日本美術の影響、ジャポニズムが触れられるがエジプト、ギリシャ、ビザンティンの文様の影響も多くあったようだ。クリムトは若い芸術家の信頼も厚く30歳近く年下のシーレやココシュカにも経済的な支援をしていたらしい。

現在では高く評価されており、私自身も好きな画家シーレの作品は当時は受け入れがたい物だったようだ。自画像を含むシーレの人物像の多くは激しくデフォルメされ、絵画のわいせつ性を問われたシーレは一ヶ月ほども拘留されている。シーレは1918年にスペイン風邪の犠牲となった妊娠中の妻の没後3日目に同じ疫病に冒され28歳の若さで没している。

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水色の色無地に油絵のように織り出された花模様の名古屋帯を合わせた。帯揚げと襦袢を桜色にしてみたが、もう少し春先になってからの方がしっくりくる組み合わせかもしれない。

グラン・パレ Galeries nationales du Grand Palais
3, avenue du Général-Eisenhower
75008 Paris
TEL:+33.1.44.13.17.17
Fax : +33.1 45 63 54 33
http://www.rmn.fr/galeriesnationalesdugrandpalais/index.html
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