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LDCのGNPやGNHって 

限りなく飛行機を乗り継いでこんな場所に行っていた。南太平洋にあるサモアという国である。LDC (Least Developed Countries=後発開発途上国)と呼ばれる開発途上国の中でも特に遅れているとされている国のひとつである。

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国の豊かさはGNP(Gross National Product=国民総生産)やGDP(Gross Domestic Product=国内総生産)などよって測る、と学校の授業で習ったが生産量ではなく「幸福」によって生活水準を測るGNH(Gross National Happiness=国民総幸福量)という概念をブータンの国王が1972年に提案したという。

英国のあるNGOが去年試みた「地球幸福度指標」によると178カ国中、日本は95位、GDP世界1位の米国は150位であるらしい。幸運度をどのように測っているのかは不明だが、目が合うたびに見ず知らずの私にも微笑んでくれるサモア人と朝の通勤メトロに乗ったパリジャンの表情には明らかな違いがあるようだ。

パリに帰ってきて以来インターネットの調子がずっと悪くイライラしていた私は典型的なGNH低めなDC*の一国民なのかもしれない。インターネットが繋がらず、お返事が大変遅くなり申し訳ございませんでした。コネクション復活いたしました。

*DC = Developed Country = 先進国
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AFRICAN WOMEN 

この数ヶ月、フランス国民の政治意識が一気に上がった大統領選挙。「フランス初女性大統領誕生ならず」のニュースを出張先の西アフリカで知った。

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アフリカでは現在も5人のうち2人は読み書きができず、その内の3分の2を女性が占めるという。それにもかかわらず多くのアフリカ諸国では欧米よりも女性議員の数が多いという一見矛盾した事実は、女性の教育が当たり前ではない国に生まれながら、高等教育を受けた女性の意識の高さを表しているのだろう。

途上国でいつも私が見惚れてしまうのが女性達である。何世紀にもわたり、その土地の気候、肌の色や生活様式に一番合うよう工夫されてきた衣服を今も当たり前に身にまとっている彼女達の姿は凛々しく、独特の美しさがあり、日本が失ったものの大きさを痛感する。

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「着だおれの地」と言われる西アフリカにあるセネガルとガンビアでは女性達は色彩鮮やかなプリント柄に身を包んでいた。両国とも大多数がイスラム教徒だが、体を覆い隠すチャドルを着用した女性はほんの数人目にしただけである。ほとんどの女性が艶のある黒い肩や胸元を原色のドレスから覗かせていた。西アフリカ・ワックス・プリントと呼ばれる布はロウケツ染めによる両面染めで、インドネシアのジャワ更紗の技術がルーツであるらしい。デザインは少しキッチュで遊び心があるものが多く、数ある布屋さんを飽きずに見て回った。

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色的にも模様的にも日本の意匠の感覚からは少々かけ離れたものである。でもどうしても帯にする布を持ち帰りたい。結局、目にしたものの中でおそらく一番地味であった紫と浅黄色をあしらった布を気に入って購入した。6メートルで175ダラシス(800円)也。

右上は和傘にしか見えないデザインに心を打たれ衝動買いしたものである。今は着こなせる自身はないが、白髪のおばあちゃんになってからこんな帯をしたら可愛いかもしれない。私がおばあちゃんになる頃にはアフリカの女性の識字率が改善されていることを願ってやまない。そして私がおばあちゃんになっても西アフリカの女性には凛々しくワックス・プリントを纏っていて欲しいと強く思う。

イカットやソンケットについて 

ここ最近、ひどい暑さが続いている。パリ・マラソンが開催される明日の最高気温は27度になるらしい。これでも樺太のサハリンと経度がほとんど同じだというパリ。ましてや今はまだ桜の残る春先である。西洋人は喜び勇んで一斉に週末のカフェでテラスを陣取っているが、あまりにもジリジリと暑い太陽に私はカフェでぐったりしてしまった。

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座っているだけで汗がにじむなんて年末のインド以来である。実はこの時、マレーシア経由でインドに行ったのだが、丸一日を首都のクアラルンプールで過ごす時間があった。日記が前後するが、その時の事を書きとめておこう。

半世紀前までイギリスの統治下におかれていたイスラムの国であるマレーシアの首都は、植民地時代の西洋式建築、モスク、近代的高層ビルなどが混在した街である。東南アジア特有の屋台も出ており、つまみ食いをしながら歩いていると布屋さんが立ち並ぶ道に迷い込んだ。中国シルクとインド糸の輸入が盛んであった頃に生まれたという、ソンケットと呼ばれるマレーシア独自の織物が、所狭しとならんでいる。もともとは王室専用だったというだけあり、金と銀の糸をふんだんに使ったしっかりとした生地は袋帯に出来そうな豪華さである。

もう少し進むと、イカット絣を専門においてあるお店に出くわした。本場のインドネシアでも手紡ぎ綿糸を草木染で仕上げるという伝統的な技術は衰退しているらしい。ましてやこんな所で売っているイカットなどは、あまりいい質のものではないのだろうな、と思いつつも手持ちの紬に合いそうな色合いのものを2つ買い求めた。現在お仕立てに出している写真の紬と名古屋帯になるイカット絣は、今年の袷の季節が始まり次第、袖を通したい組み合わせである。

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まだ袷の季節が終わっていない4月半ばに「今年の袷の季節が始まり次第」という表現は正しくないのかもしれない。でも今はいくらお気に入りの塩漬け色無地一つ紋でも、卵色の付下げでも、袷はまるで着る気になれない異常気象のパリである。

BONJOUR BOMBAY 

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小さい時の宝物に1937から67年にかけて制作されたディズニー映画のレコード版コレクションがあった。白雪姫やバンビの絵本を見ながら何回もレードを聴き、まるで映画を観ている様に童話の世界に浸っていたのを覚えている。その中にウォルト・ディズニー氏自信が生前最後に手がけた「ジャングル・ブック」が入っていた。

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「ジャングル・ブック」の原作はイギリス人作家、キップリング(Joseph Rudyard Kipling、1865-1936)によるものである。キップリングはイギリス帝国時代のインドのムンバイ(ボンベイ)で生まれ、イギリスで教育を受けた後、16歳で新聞記者としてインドに戻っている。41歳でイギリス人として初めてノーベル文学賞を受賞しているが、これは現在でも文学賞の最年少受賞記録であるという。

インドの密林を舞台にしたこの童話が人間性と人生の教訓溢れる児童文学の傑作であることには間違いないであろう。しかしキップリングは東洋と西洋の文化には埋められない断絶があるという意味の「East is East, West is West(東は東、西は西)」という言葉を遺し、さらに「The White Man's Burden(白人の責務)」と題された自身の詩集に見られる「憂うべき東洋人を優れた西洋人が文明化する使命」といった植民地主義に基づく思想の持ち主であったことも残念ながら否定できないようだ。

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私はインドが大好きである。先月、5年ぶりに訪れた南インドでは埃とお香の交じったような独特の匂いにワクワクし、色華やかな景色から目が離せなかった。インドの地図をヨーロッパのそれに重ねるとノルウェーからシチリア島、スペインからロシアまでを覆いつくす。300以上の言語を話し、毎年オーストラリアと同じ人口を増やすというこの国の多様性と活気を通り越したカオスに魅力を感じてしょうがないのである。

どうしてこんなにインドに惹かれるのだろうと考えたとき、ふと、私にとってのインドはディズニーランドなのではないかと思いついた。色とりどりのサリーを着た女性、あどけなく後をついて来る子供達、飾られた姿で道を闊歩する象やラクダ。私にとってこれらに見惚れるのは子供の頃、エレクトロニックパレードを目を輝かせて見ていたのと似ているのではないか。そして心温まる童話の陰にあるキップリングの帝国主義思想が見えなかったように、今も残るインドの身分制度や植民地時代の傷は見ていないのではないだろうか。

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今回のインド旅行で購入したサリーを帯にするべく、京都でお仕立てに出した。シタールやインド古典舞踏の公演に締めていける日が待ち遠しいが、私はインドの華麗なサリーの陰に存在するものに対しては、少し目を逸らしているのかもしれない。カースト制度も植民地文化も日本が他人事だと言い切れるものではない。私の中のインドをディズニーランドで終わらせてはいけないのだろう。

アクロポリスで考えた事 

ギリシャの首都、アテネの漢字表記は「雅典」と書くらしい。私にはまず読めないが意味としてはこれ以上適切なものもないだろう。出張で数日の滞在だったのだが、パルテノン神殿までは足を伸ばせる時間があった。紀元前5世紀築のこの建物はやはり「雅」であり西洋文化の「典」である。

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アクロポリスを歩いていると同僚のギリシャ人が「どうしても取り返さないといけない」と繰り返す。およそ200年前、古代ギリシャ芸術に魅了されたイギリスの伯爵、エルギン卿(Lord Elgin)が、アテネからイギリスに運び出したパルテノン神殿の彫像やレリーフ群のことである。1830年の建国直後からギリシャ政府はイギリスに対して返却を求めているが、この彫刻群は現在も「エルギン・マーブル」として大英博物館の著名なコレクションのままである。

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「略奪美術品」という言葉はルーブルやメトロポリタン美術館のエジプトコレクションなどにも良く用いられる。それぞれに込み入った歴史的背景があり、現在の価値観だけで良し悪しを決めるのも無理があるだろう。エルギン卿が10年もの歳月をかけてせっせと美術品を母国に運んでいた頃のギリシャはトルコ(オスマン帝国)の支配下にあり、イスラム教のオスマントルコ政府は異教徒の文化遺産であるパルテノン神殿を重視しなかったのか、当時の政府はエルギン卿の強奪作業を黙認している。

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でもやはり自国の文明の最高傑作を返して欲しいと思うのは順当な愛国心であろう。芸術品としての価値に気づくのが外国より遅れ、優れた作品の多数は海外美術館所蔵、という浮世絵とは少しケースが違うようである。

左上は今年初夏、ロンドンへ行った際、大英博物館の「エルギン・マーブル」の前で撮った一枚である。右は帯〆になるべくアテネの道端でみそめられたブローチである。
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