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裏千家ヨーロッパのつどい 

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裏千家第15代家元、鵬雲斎千玄室大宗匠がヨーロッパで裏千家茶道の普及を始められて半世紀を迎えられるという。これを記念してヨーロッパ初の裏千家出張所が開設されたイタリアはローマで「裏千家ヨーロッパのつどい」が5月22日から25日の間開催され、出席できる機会に恵まれた。参加者は日本から約200人、ヨーロッパ各国、北米、中南米地域から約300人の延べおよそ500人である。

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5月22日(月)
■「裏千家ヨーロッパのつどい」式典(ローマ市庁舎 Palazzo Senatorio)
■ローマ出張所訪問 (Centro Urasenke)


私は22日の夜に到着となったため上記のイベントには参加できなかったのだが1969年に開設されたローマ出張所は3つのお茶室があるとても立派なものであるらしい。開設以来の駐在講師でいらっしゃる野尻命子(のじり.みちこ)先生はお話に聞いていた通りのなんともチャーミングな女性でいらした。在伊40年以上の野尻先生のご活躍が『ローマでお茶を』(主婦の友社)というご本になったとのこと。

5月23日(火)
■平和祈念献茶会(聖アンセルモ教会 Chiesa di Sant'Anselmo)


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メイン行事であった平和祈念献茶式は午前10時からミサの中で行われ、大宗匠は二碗を献点、祭壇に供えられた。大宗匠はこの聖アンセルモ教会で1984年にも献茶式を行っておられ、その時には故登三子夫人同伴であったため今回の献茶式では夫人が傍にいるようだと感極まっていらしたと後でお話に伺った。

茶道の紹介普及のため世界60ヶ国を200回以上歴訪され、33カ国に95箇所の出張所を開設された大宗匠は「空飛ぶ家元」とお呼ばれになっていたとか。故登三子夫人は外国語に流暢でいらして茶道のこころを世界中に伝えるため努めていらっしゃる大宗匠の大きなお力でいらしたとの大宗匠の文章を読んだことがあるのを思い出した。

■大宗匠主催記念レセプション(セントレジス・グランドホテル St. Regis Grand Hotel)

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夜に行われたレセプションでは大宗匠が気さくに参加者にお声を掛けられてまわった。パリから来た私達には大宗匠が登三子夫人とお見合いされたとき「フランスが大好きだった彼女はソルボンヌ大学と私のどちらかを選ばなくてはいけなくなり、一晩考えて私を選んでくれた。」というお話をしてくださる。結婚後も京都日仏会館でフランス語の勉強をつづけられた登三子夫人はシラク大統領にお会いになった時フランスに住んでいた事があると思われた程上手に話せたのだと亡き夫人のご自慢をされる大宗匠はとても素敵であった。

5月24日(水)
■記念茶会(ローマ日本文化会館 Istituto Giapponese di Cultura in Roma)


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翌日は海外初の日本文化会館として1962年に会館されたローマ日本文化会館で記念茶会が行われた。ローマ出張所のお濃茶席、その他欧州のお薄茶席、日本の薄茶席の3つのお茶席があり、私は欧州薄茶席のお手伝いに入った。

左上の写真がイタリア人生徒さんのお手前の後、お濃茶の説明をする野尻先生である。右側は欧州薄茶の盆略点配置の1つ。お道具は、ほぼ全てヨーロッパ製のもので写真は鉄瓶の代用にオランダのティーポット、なつめはフランスのボンボンニエール、茶杓は象牙を使った英国製、ピカソデザインのお茶碗に、お盆はスカンジナビア製という具合である。

■シンポジウム『ヨーロッパと茶の心』
夕方からは野尻先生が司会を勤められたシンポジウムで裏千家淡交会ベルギー協会会長であり、ベネディクト会神父でもいらっしゃるベテュヌ氏(Rev.Father Pierre-Françoise de Béthune)と裏千家フライブルグ連絡所駐在講師及び臨済宗禅僧のハース氏(Rev. Ulrich Haas)がそれぞれ講演をなさった後、ディスカッションとなった。茶の湯の伝統、禅の視点とキリスト教の精神の共通点が多々挙げられていたのが大変印象的である。

5月25日(木)
■名誉学位授与式(ローマ大学大講堂 Università degli Studi di Roma)


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大宗匠はすでに100以上の肩書をお持ちだという。今回もローマ大学より名誉学位を受けられた。1303年に創立されたこの大学はカイロ大学に次ぐ世界で二番目に大きな大学であるらしい。大講堂で大学のローブに身を包んだ大宗匠が学位を受けられた後の先生方によるお手前のデモンストレーションでは洗練された自然な動作に思わず見とれてしまう。

■カクテル、打ち上げパーティー (Ristorante Antica Dogana)
最後の夜はテーベレ川沿いのレストランでお食事会。他の参加者の方達とゆっくり楽しくお話しができて、やはり来てよかったと実感した。

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今回のつどいでまったく目を奪われっぱなしであったのはみなさんのお着物姿である。こんなにも一度に和装姿を目にした事のなかった私はキョロキョロしてしまっていたであろうと今思うと恥ずかしい。

まだ5月、でもすでに気温25度を超すローマということで袷と単衣が入り混じっていた。紋付でなくでもかまわないと直前に教えてもらい、私は絽の付下げを2枚、紗合わせを1枚持っていったがそれでも暑かったくらいである。「お茶会での金銀は禁物」という情報だけが頭にあったものだからシンプルな帯を合わせたが、ご覧のようにほとんどの方が金銀の入った帯を締めていらした。やはり普通のお茶会ではないのだから少し華やかにした方が正解だったのだろう。

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このような会に出席するのは初めてであったが京都にいた頃「習わされていた」お茶のお稽古ではなく今回自分の意思で再開したお稽古をちゃんと続けたいと思えた経験であった。

野尻先生がお茶を始めたのは「日本をわかる手掛かりにしたい」というのが一つの理由であったらしい。私の着物熱も茶道への興味もそういうことなのかもしれない。長い間日本の外から無造作に日本を見つめていた私が今は興味津々に日本の中身を理解しようとしており、簡単には把握できないその奥の深さを楽しみ、誇りに思えているのである。
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聞香(もんこう): 香を聞くこと 

香は「嗅ぐ」ものではなく「聞く」ものだと知ったとき、又日本語に一本取られたような感じがしたのを憶えている。

0206_kodo(4).jpg 遊女禿聞香図

先週、マレ地区での香道のデモンストレーションに誘ってもらい,土曜日の午後に足を運んでみた。仏教と共に日本に伝えられ、仏様の供香(そなえこう)から始まり、お部屋や衣装に香りを移す薫物(たきもの)として活用されたお香は次第に和歌や文学と結びつき、雅な遊びとして親しまれ、やがて「道」としてまで確立されたという。

この遊びとは「組香」といい、乱暴な言い方を承知で書くと「香り当てゲーム」である。一定の作法のもとに何種類かの暖められた香木の微かな香りを鑑賞し、その異同を聞き分ける。5つの香木を使う源氏香ではなく、三種香の席に参加させていただいたのだが、3つの香木ともそれぞれに「いい香り」だということだけしかわからず、私の答えといえばまったくの的外れであった。

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香りといえばフランスでは香水だが、この国には政府の制度として「Le nez(ル・ネ=鼻)」という一流の香水調合師にだけ与えられる称号が存在する。香水界で最高の権威を持つ「鼻」はフランス国内に50人程おり、3000種類もの香りを区別するという。フランスでは「鼻(ネ)」という言葉自体が「調香師」と同義語である。

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そういえば台北を訪れた時、お茶を飲む前に青茶の香りを嗅ぐ専用の茶杯を「聞香杯」というと習った。あえて「嗅ぐ」のではなく「聞く」という表現を選んだ東洋とパーフューマーを「鼻」といいあらわす西洋。「左脳・対・右脳」「情緒的・対・論理的」のような「東洋・対・西洋」二分法に視点を当てた研究論などに出てきそうな例である。

「鼻」の称号を持つほとんどの調香師が香料産業発祥地、南仏プロヴァンス地方のグラース(Grasse)出身、もしくはこの地で修行を積んでいるという。今でも香水産業6割の生産量を誇るこの町は香料植物栽培に適した温暖な気候に恵まれた趣のある城下町であるらしい。この香水のメッカで咲き誇っているというラベンダーやローズマリーを「聞く」旅にいつか行ってみたいものだ。

photos: Shoei-do, Thames & Hudson

パリ裏千家初釜 

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フランス人には理解できにくいらしい毎日のお風呂の習慣を私は人生の半分以上日本から離れた今も続けている。時間をかけてゆっくり入るのが好きなので着物の本をお風呂場に持ち込むのだが濡れてもよし、とした1,2冊を繰り返し読むことになる。だからこの文章はもう頭に入っていた。「初釜など格式の高いお茶席には色留袖や訪問着、付け下げなどを着ます。控えめな中にも格のある縁起のよい色柄のものを。」

なのに初めてのパリでの初釜に私は地味な紬を着ていくはめになった。平日の昼間に初釜があったからだ。オフィスに始めて着物で行くことになる。「格のある色柄の付け下げ」は、やはり着て行きにくい。出来るだけ目立たないものを、と迷った末、白茶の紬と淡い桜色の塩瀬手描き名古屋帯を選んだ。帯は「縁起のよい柄」の中にはおそらく入らないであろう「山」の柄だがしかたがない。

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懐石(祝善というと習った)の後、パリ日本文化会館のエッフェル塔が見えるお茶室で日本からいらした先生にお薄をいただいた。パリの先生は素敵な象牙色の訪問着と鶴菱の帯。鮫小紋に可愛らしい梅の帯をしていらっしゃるお弟子さんもいた。

白い目でみられるかと心配していた私の紬だが、結局生徒の中で着物を着ていたのは私と独学で着付けを学んだと言う袴姿のフランス人男性だけであったことを付け足しておこう。

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